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Channel: 浪花のおじさんぽ (^^♪
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もぉ~ええ加減にしてぇな~

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台風12号の通過によって猛烈な暑さから解放され、
少しばかり凌ぎ易さを感じた阪神間でしたが、
再び猛暑に襲われ襲われています。

昨日気象庁がまたまた高温に関する異常天候
早期警戒情報を発表しましたねぇ。


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暦の上では来週末には立秋が来るのですが、
立秋と云えば、夏が極まり秋の気配が
感じられる気候なんですけどねぇ。

なんせ新暦の立秋やからねぇ。

旧暦で言うたら未だ6月末やもんねぇ。

今から盛夏に向かうんやもんねぇ。

気象庁が高温注意報出すのん、しょう無いわなぁ~。


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連日の炎天下、この暑さで人通りが途絶え廃墟の

感じがする何時もの商店街へ


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昼間のお買い物は扇屋にとっては命がけのお仕事。

拒否をすると山の守殿の地獄の攻めが

ここは我慢でっせ


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こんな暑い日は木陰でのんびりと


昼寝したら気持ちええやろなぁ








強い日差しには負けまんなぁ❔

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普通に晴れた日は午後2時頃が一番気温が高くなり、日没に近づくと
少し気温が下がるのですが、最近は午後3時から4時頃に
ピークを向かえ、夜になっても気温が下がりません


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昨日中之島に用事があり出掛けたついでに
築港に立ち寄って来ました。

阿波座産の扇屋も弁天町から西は圏外中の圏外で、
全くと言っていいほど番外地なので、Webから
大阪あそ歩『アートな港町・築港散歩』を
コピー、築港巡りを楽しんできました。

が、


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半日一寸の築港巡りなのですが、空を見上げれば
お天道様がギラギラ、観光客もまばらで
廃墟の感がする築港で、

忘れてました❔

紫外線を大量に浴びると

体が疲れると言う事を


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年々体力が落ちていくと自覚している扇屋、自宅に戻って

シャワーで汗を流し、冷房の効いた室内で写真の

整理をしていたら、急激に睡魔が


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そんなこんなで『おねえさん、母は強しおかんさん、
shermynara=パート3さん』コメントが
返せませんでした。


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今日は朝からのんびり写真の整理に励んでいます。

明日からの浪花のおじさんぽ築港篇、


我慢してお付き合いくださいょ。。。




浪花の築港でおじさんぽ Ⅰ

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築港は安治川と尻無川間に位置する最初に完成した大阪港で、
クルーズ客船や在来貨物船を除くと船の出入りは少なく
なりましたが、港湾関係の庁舎の多くが位置する
大阪港の中心地なのです。

また、

天保山から中央突堤にかけては、アメリカのウォーター
フロントにならい、海遊館や天保山ハーバービレッジ
ホテルなどが建設され、都市再開発が
進められています。

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大阪メトロ中央線で大阪港駅にやって来ました。

こちらからみなと通を築港東交差点まで戻り、
南に少し下ると

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この付近はその昔築港遊園地だった所なんですが、
すっかり雰囲気が変わってしまいましたねぇ。

当時の写真が手に入らなかったので、
仕方なく先に進みます。

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築港東交差点を南に下ると左に築港公園があり、

公園を入っていくと奥に港住吉神社が

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港住吉神社は、天保13年(1849)に江戸幕府大坂城代の命を奉じ、
摂津一宮である住吉大社より住吉四神を天保山台場に
勧請され、大正6年(1917)天保山台場から
現在地に遷座されました。

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港住吉神社の大鳥居を潜った正面に、住吉四神が
奉安される拝本殿があります。

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住吉四神が祭られている拝本殿の南側に
位置する稲荷神社の狛犬なんですが、

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なにい~ぃ『のけぞって笑るとるがな

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港住吉神社に隣接する築港公園には忘れられた
銅像の台座が❔あります。

日露戦争の記念碑として軍馬の銅像が造られたのですが、
太平洋戦争末期に『金属供出』に応じ台座だけが
残されてしまいました。

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海抜ゼロメートル地帯の築港は、度々台風や高潮の
被害に遭い、その都度多くの犠牲者が出ました。

公園内に設けられたこの石碑は、昭和9年(1934)の室戸台風、
昭和11年(1936)のジェーエン台風の犠牲者の慰霊と、
教訓を忘れないために建立されました。

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港住吉神社からさらに南に下り、築港小学校
南交差点を左に進みます。

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築港小学校南交差点を左に曲がると直ぐに、安治川と
尻無川を連絡する天保山運河に出ます。

画像は大阪港第一突堤から南港に架かる港大橋で、
上下二層のダブルデッキになったトラス橋です。

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港大橋を背に海岸通ギャラリーCASOがあります。

元は住友倉庫が在ったのですが、平成12年(2000)都市
環境再開発事業で、住友倉庫によって現代美術を
中心としたギャラリーに生まれ変わりました。

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海岸通ギャラリーの駐車場から西に赤レンガ倉庫群が、

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大正12年(1923)に住友倉庫によって建設された赤煉瓦倉庫は、
大阪市に残る数少ない煉瓦建築で、平成11年(1999)に
住友倉庫から大阪市に移管され、現在はクラシック
カーミュージアムになっています。

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赤煉瓦倉庫群から築港小学校沿いに少し北に
向かってやって来ました。

正面左の築港高野山釈迦院に給水を
兼ねて参拝に伺います。



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熱射病予防に


必ず


給水タイムをとって下さいょ。













浪花の築港でおじさんぽ Ⅱ

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100回目となる夏の甲子園が始まりましたが、今年の大会では
熱中症対策として初めて、開会式参加者全員に飲み物を
持たせ式の途中で異例の給水タイムを設けました。

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扇屋の『浪花のおじさんぽ』も負けじと、築港高野山
釈迦院さんで給水タイムをしましたょ。

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築港高野山釈迦院は、弘法大師空海の入唐求法を顕彰するため、
大師の遣唐使船が出帆した浪花津に、明治43年(1910)に
河内弘川寺の塔頭『釈迦院』を港区港晴に移し、
伽藍を建立したのが始りと云われています。

昭和20年(1945)の大阪大空襲で全焼後、
昭和27年に現在地で再建されました。

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山門を潜ると境内に浪曲塔が❔

浪曲師の広沢虎吉が釈迦院住職の弟子で在った
関係で、浪曲の祖とされる藤原澄憲を祀る
碑が建立されたんですねぇ。

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戦後現在地に、堺市の智禅院の本堂を移築し再建を
果たしたのですが、平成7年(1945)の阪神淡路
大震災で倒壊状態となり、平成9年に
元の姿で再興落成しました。

大相撲春場所前になると本堂左の釈迦院会館に
相撲部屋が毎年やって来ます。

お相撲さんの稽古が真近で見れますょ。

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祈りの場として境内には多くの石仏群が祀られています。

不動堂の前のベンチで給水を取り下山することに、

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釈迦院さんから通を挟んだ東隣には、
下町レトロな風呂屋さんが

こちらの築港温泉さん、風呂場や脱衣場を
地域コミュニティスペースに活用し、
コンサートやっているそうですょ。

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釈迦院さんから築港温泉を経由して元のみなと通に
戻り、中央突堤目指して西へひたすら

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大阪税関監視部なんて恐ろしい名前のビル前を通り過ぎると、

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大阪咲洲海底トンネル入り口前にやって来ます。

大阪メトロもみなと通も海底トンネルを潜って、
コスモスクエアに行くのですょ。

みなと通の側道を通ってさらに西に進むと、

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ウッドデッキの広がる大阪港中央突堤
最西端が目の前に

昭和初期には横浜・神戸と並んで日本三大港として
賑っていた中央突堤、今は波音が感じられる
心の癒しエリアに大変身

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視界が広がる正面は大阪港の玄関口、

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南側には大阪港国際フェリーターミナルや、

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コンテナーヤードの南港エリアが広がり、

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北に目を移すと櫻島埠頭の北港エリアが一望でき、

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築港北西端を見れば天保山ハーバービレッジが、

中央突堤最西端は大阪港のダイヤモンドポイントで、
夕日が一番綺麗な所なんだそうですょ。



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またまたこちらの大阪港水上保安監視部の


日陰を利用して給水タイムを取ります。











浪花の築港でおじさんぽ Ⅲ

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明治の初めに『新大阪港』として開発された中央突堤は、
天保山ハーバービレッジの近くにありながら、観光
施設特有の喧騒もなく、打ち寄せる波音が
楽しめる癒しのエリヤなのです。

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波音を聞きながらホッと一息をついて海遊館のある
天保山ハーバービレッジへと向かいます。

中央突堤付近は都市化再開発計画の『築港・
天保山街づくり計画』が策定され何年も
なるんですが、未だに上屋は残され
未整備のままのほったらかし

横浜や神戸から比べると街づくりが下手やね大阪は

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ここは中央突堤と築港の境目で、無粋な水防扉が
むき出しになっています。

ここから歩道沿いに築港へと向かいます。

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水防扉の所から少し北東に進むと目の前に天保山
ハーバービレッジが見えてきます。

左から海遊館、中央左に大阪文化館天保山(旧サントリー
ミュージアム)、中央右にホテルシーガルてんぽうざん
大阪、右には大阪水上警察暑が並んでいます。

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あれ~ぇ。大阪文化館の前にいてたマーメード像、

おらへんやんか❔、どこいってもてんなぁ❔

確か澪標があるとこにマーメード像あってんけど❔

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こないだ来たときは在ったのに❔

どこいったんマーメード

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どう見ても澪標やんか❔マーメードには見えへんで

ここから少し北の海遊館北西角に

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平成7年(1995)にデンマークのコペンハーゲン港と大阪港の
文化交流を記念して寄贈されたマーメード像は、
昨年の12月に天保山ハーバービレッジ
西側のサンセット広場に移設
されていました。

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マーメード像の安否を確認した後、元のみなと通に戻り
けったいな建物に遭遇してしまいました。

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昭和10年(1935)に建てられた天満屋ビルなんですけど、
1階が半地下の状態で2階のバルコニーが玄関に
なっています。

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天満屋ビル隣の商船三井築港ビルはもっとひどく、
外観上2階建ての建物に見えますが本来は
3階建てで、正面に見えている玄関は
3階建ての2階部分なんですょ。

築港全体を嵩上げ工事が行われたんですがねぇ。

建物のまで嵩上げでけへんかったんやろねぇ。

商船三井築港ビルから北に向かうと

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天保山ハーバービレッジエリアが広がっています。

さらに進むと、

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ジンベイザメや魚の通りぬけ「アクアゲート」や
「クラゲ館」の海遊館があります。

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天保山マーケットプレスに付属する大観覧車は、
15分で一周するんだそうですょ。

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大観覧車前の道路には、今話題の中国配車グループに
雇われた白タクが、入れ代わり立ち代わり
駐停車しています。。。

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白タクを眺めながら天保山交差点を北に

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天保山ハーバービレッジの北隣は天保山埠頭になっています。

天保山埠頭はクルーズ船専用の埠頭なのですが❔

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こんな船も停泊するんですょ。

空母化で話題になっている加賀も停泊したんですょ。

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天保山埠頭の北側には日本一低い山、
天保山があります。

が、


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冷房の効いたマーケットプレイスで


チョイと休憩を




大阪天保山でおじさんぽ

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織豊時代に都市基盤が築かれた大坂は江戸時代に入ると、
北前船や菱垣廻船などの寄港地として栄え、日本の
商業都市として発展を遂げました。

発展の基礎となった北浜の八軒屋浜は、淀川河口から
数キロ遡った場所にあったため、大型船は市内まで
入らず安治川や木津川河口に停泊し、小型船で
瀬取りを行い八軒屋まで運搬していました。

然も河港であったため河川が運ぶ土砂の堆積があり、
川床が浅くなることから天保2年(1831)安治川
河口を浚渫し、航路の確保が行われ、その
土砂の置き場が天保山だったのです。

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大坂町奉行所の指揮のもと、延10万人以上の労働力が
つぎ込まれ、お祭り騒ぎだったと天保2年の天保山
柳樽砂運び瓦版に記されています。(注・1)

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天保4年(1833)に出版された天保山地理全図に
当時の天保山が記されています。(注・1)

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浚えられた土砂を安治川河口に積み上げられて出来た
築山は十間(約20m)程の高さがあり、安治川入港の
目印の役目を担った様子が嘉永年間に五岳が
天保山万舩入津の図に記しています。(注・2)

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安治川の浚渫工事によって天保山の周囲に町が出来、
海岸べりには高燈籠(灯台)が設けられ、山には松や
桜が植栽され、茶店が置かれるなど天保山は
大坂の行楽地となりました。(注・2)

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しかし安政元年(1854)に大坂城代の命で、天保山は砲台
建設のため山土が削り取られ城塞となりました。(注・2)

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時代が明治になり城塞が撤去された天保山は、灯台設置による
土砂の採取で7.2mまで低くなってしまいました。(注・1)

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天保山ハーバービレッジ前から旅客船ターミナルの
横を通って天保山埠頭に向かいます

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天保山埠頭から東に向かうと直ぐ天保山があります。

明治の初め左の安治川には❔

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こんな船が通っていたんですょ。(注・2)

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最近はこんな船が通っていますょ。

画像の奥に見えるのはUSJです。

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天保山埠頭から天保山公園にやって来ました。

昔も今も天保山は桜の名所。

葉桜並木をさらに東にいくと

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天保山公園の広場に出てきます。

この広場の片隅にあるのが

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海抜4.53mの天保山山頂に国土地理院の
二等三角点が設置された場所があります。

此の位置が天保山のてっぺんなんですねぇ。

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天保山のてっぺんから見た安治川、
川向うにはUSJが。

天保山埠頭から見た景色と同じやんと云わないでくださいょ。

一生懸命山登りしたんですから❔

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天保山より背丈の高いハーバービレッジの
大観覧車からみた天保山。

中央の森ではなく左上に小さく森が禿げた所が
天保山の山頂なのですよ~。

森になっている展望台よりも低いんですょ。

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ハーバビレッジから花の海遊ロードを巡って、

大阪メトロ大阪港駅から帰宅します。


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浪花の築港でおじさんぽはこの辺で。


(注・1) 大阪歴史博物館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵
から借用しました。


おまけです。


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平成時代最後の記念に

天保山登頂証明書も

添付しておきます。




涼しげな美人の意外な横顔

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『お父~さん、朝顔、今朝は18も咲いたわ、早よ観たって、
しぼんでしまうよってに』と、ベランダから
大はしゃぎの山の守殿。

夏休みの花と言えば『アサガオ』

小学生の頃にどなたも一度は育てたことが有るのでは❔

朝顔は奈良時代の末期に中国から、薬用植物として
渡来した花だそうで、『牽牛子(ケンゴシ)』と
呼ばれていたそうですねぇ。

涼しげな朝の美人の顔に喩えた朝の容花の意味で、
『朝顔』と呼ばれるようになったそうですねぇ~。

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今年も元気に美しい花を咲かせてくれました。

 朝顔は種さえきちんと穴に置いて、水やりさえすれば
子供でも花を咲かせることが出来ますからねぇ

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明け方の暗いうちから咲きだすらしいですねぇ~。

聞くところによれば、日没に合わせて体内時計の
スイッチが入り、8~10時間後に花が咲きだし、
昼頃にしぼんでしまうそうなんですねぇ~。

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朝顔『牽牛子』の種には、ファルビチンという成分があって、
粉末にして飲むと強力な下痢作用があり、朝鮮朝顔
(曼陀羅華)の種には強い幻覚作用を引き起こしす
程の毒性があると云われていますから、


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誤って口には入れないでくださいょ 



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山の守殿に逆らうと

一服盛られそうなので❔



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で、御想像ください




すかたんやねぇ~

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梅雨が明けた頃から花が咲きだし、咲き散った枝先から
再び芽を出し、秋の半ばまで楽しませてくれる
百日紅の花、特に真夏の澄んだ青空の下
に咲く姿に目を奪われますねぇ~。

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『百日紅』と書いて漢名では『ひゃくじつこう』、
樹皮が滑らかで猿も滑りそうなため
和名では『さるすべり』と和名が
付けられています。

漢名も和名も由来がよう解らん❔

愛嬌で付けられたと思えば 

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木の外観から付けられた花言葉が
『雄弁』、『愛嬌』。



話変わって



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忙しくて仕方がないことを「盆と正月が一緒にやって来た」と
形容しますが、年中行事の二大イベントの一つ
明日からお盆行事が始まります。

扇屋も13日の迎え盆、16日の送り盆の為に
しばらく留守をすることになりました。


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仏壇持ちの長男は


災難ですなぁ~





送る 夏を ご先祖様を 盆踊りで

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京都五山の送り火に合わせて盆の送り火を行う扇屋。

『あれれ、今年も家だけかいなぁ~❔』

玄関前で送り火焚くと火災感知器が反応するので、
今年もベランダからご先祖様のお見送り。


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先祖や故人の霊が子孫の元に帰って来ると云われるお盆。
13日の迎え盆に始まったお盆行事、16日の送り盆で
二大行事の一つを無事に終えることが出来ました。

ご近所の長老の話によれば、盆に向かえるのはご先祖様の
霊だけでなく、『無縁仏』とも『餓鬼』とも呼ばれる
身寄りのない霊も帰って来るのだそうです。

こうした霊には関わりたくないのですが、
祀らないと悪さをしでかすようだ。

そのため昔の人は、このような無縁仏とお別れするため、
送り出す儀礼の盆踊りを行ったのですねぇ~。


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盆踊りの起源についてはいろいろな説があるようですが、
一説によれば室町時代から死者の供養をするための
行事として行われていたと伝えられてします。

昔は盆踊りを村のメインストリートで行って、
踊りながら村の外れまで行く。

楽し気な踊りにつられて現世に執着した霊たちもついて来る。

ついて来た所を村境から『さようなら~』と、

送り出すのだそうですょ。


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知らんかったですねぇ ❔



ブサイクまる出しやねぇ

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『暑さ寒さも彼岸まで』と言う諺がありますが、お盆が過ぎた
頃から急激に気温が下がり、彼岸前と言うのに
秋の気配が感じられるようになりました。

と言っても平年並みの32℃~33℃。

しかしあの猛暑を経験すると、平年並みの気温を
心地よく感じる扇屋です。


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涼しくなったので浪花のおじさんぽ再開と、重たい腰を
『よっこらしょ』と持ち上げ、勇んで出陣した
のは良かったのですが、

久し振りに乗った南海電車、住吉東で降りな
アカンのに『何で堺東やねん

ぼゃ~と乗っていたので乗り過ごしてしまいました。

堺東から住吉東まで後戻りをして、目的地を
下見しながら写真をと、カメラを取り出し
被写体目掛けてシャッターを
切ったのですが、


カメラまで『無反応』


なんでやねん!


『あっちゃ~、バッテリー上がりやん』


『何しに住吉まで来たんゃ



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こんな日もあるわなぁ~





あとしまつ

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昨日の失態を取り戻すべく、今日も朝から住吉東にやって来ました。

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住吉大社を巡り住吉警察を経由して帰宅予定です。

今日の詳細は後日に

祈りのまち住吉でおじさんぽ

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   遣隋使や遣唐使が出立に際して立ち寄った難波津の住吉は、
  南北朝の後村上天皇の御座所で長慶天皇も即位した
   住吉行宮に住吉大社、後小松天皇の落胤とされる
一休宗純禅師の牀采庵などの知られざる
足跡を探しにおじさんぽです。

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南海電鉄高野線の住吉東駅東口にやって来ました。

車窓から綺麗お寺が見えたのでちょっと
立ち寄ってみたいと思います。

寄り道せんと早よ目的地に行かな❔

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住吉東駅東口から線路沿いを少し北に向かうと
真願寺さんがあります。

真願寺は親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗本願寺派に属し、
昔は念仏の道場と呼ばれていた寺院なのだそうです。

観光寺では無いので外観だけを 

真願寺さんから少し東に行くと最初の目的地、
東大禅寺があります。

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東大禅寺に向かっている道で見つけました。

この綺麗な花、図鑑で調べたのですが名前が❔

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駅から10分ほどで東大禅寺さんの山門前にやって来ました。

お寺なんですが何故か竜宮門前に鳥居があり、
扁額に『多聞天』と記されています。

が、

正式には黄檗宗大領山東大禅寺という
仏教寺院なんですけどねぇ❔

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竜宮門前の注連縄柱には毘沙門天と記されているのに、
なぜ扁額には多聞天と記されてるんでしょうねぇ❔

東大禅寺さんも観光寺では無いようで硬く
門扉が閉ざされていました。

観光寺でない東大禅寺さんをなんで訊ねたん❔

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竜宮門から覗いた東大禅寺さんの景色です。

東大禅寺さんは、弁天山古墳の墳丘上に
建立された寺院なんですねぇ

何でも江戸時代の『東摂陵墓図誌』によれば、
『小塚 在住吉郡住吉村 字辯天塚 立木
雑樹少々アリ由緒 不明』とあることから
この時代まで、東大禅寺はまだ建立
されていなかったようですねぇ~。

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墳丘上の毘沙門堂は本尊の毘沙門天・茶枳尼天・
吉祥天などが安置されているそうです。

本尊は毘沙門天なのになんで扁額が
『多聞天』なんやるろねぇ~❔

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角度を変えて東大禅寺さんを見てみると、
墳丘らしき形跡が残されています。


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尼崎の塚口池田山古墳よりはましやねぇ❔

塚口池田山古墳は墳丘の全てが削り取られて更地にされ、
その上に三菱電機伊丹製作所が立っているもんね

お寺さんで良かったわ、ホンマ、なむ~

東大禅寺さんから少し南に下ると、

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10世紀末頃に創建されたという荘厳浄土寺さんがあります。

画像は車の通用門なんだそうで、
南側の山門から参拝に
お伺いします。



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本日はこの辺で❔





祈りのまち住吉でおじさんぽ 其の弐

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住吉は古代『すみのえ』と呼ばれ住吉津と、それを護る住吉大社で
栄えていました。白鳳時代以後には住吉大社や神宮寺の
慈恩寺(廃寺)、津守寺(廃寺)、荘厳浄土寺の
三大寺院に加え小さな仏教寺院が
集まる街になりました。

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東大禅寺さんから少し南に下ると住吉街道に面した
荘厳浄土寺さんの山門前に出てきます。

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荘厳浄土寺さんの山門は医薬門と呼ばれ、明治の初めに
住吉大社神宮寺から移設されました。

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荘厳浄土寺の創建は天慶年間(930~946)頃で、応徳年間に白河
天皇の勅願により、永保4年(1084)に津守国基(住吉大社
宮司)が再興し、白河天皇の勅願寺となりました。

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医薬門を潜って直ぐ左に八部衆を祀る堂宇があり、

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永保4年に再興された際に土中から『七宝荘厳極楽浄土・・』の
名がある金札が発見され、白河天皇から荘厳浄土寺の
寺号を賜ったと伝えられています。

参道正面の本堂は天和2年(1682)に再建されたもので、
本尊の不動明王像が安置されています。

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創建当時は四天王寺と並ぶ荘厳な寺院の
塔の礎石が、本堂の前に❔
残されています。

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本堂の北側には阿弥陀堂が

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真言律宗朝日山荘厳浄土寺さんの参拝を終え下山します。

画像手前の住之江街道を西に向けて

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荘厳浄土寺さんから少し西に進むと左手に木下家住宅があります。

木下家住宅は防火・防水の大壁造の漆喰壁に
虫籠窓がある純日本家屋なのです。

街道沿いらしく馬の手綱を縛る柱などが残されています。

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木下家の右隣にあり、普段気にも止まらないほどの
小さな浄光寺さん。

山門を潜って境内に一歩入って、

驚き 桃の木 山椒の木 

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地蔵堂のお地蔵さん、黒光りしてます。

普通、お地蔵さんには水を掛けたりして、願掛けをするとは
聞いていましたが浄光寺さんのお地蔵さんには、
油をかけて願掛けするそうなんです。

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文久2年(1862)に疫病が流行ったとき、お地蔵さんに回復祈願を
行っていた老婆が、『油をかけて祈ると良い』と夢のお告げを
受け、その通りにすると病が回復したと云います。

そのことから浄光寺さんの油架け
地蔵信仰が始まったと
伝えられています。

扇屋も何かで読んだ気がするのですが、
初めての対面でした。

思わず

『なぁ~むぅ

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浄光寺さんからに少し西に進むと南海高野線の踏切に出ます。

住吉東の駅から時計回りに線路が曲がっているので、
撮り鉄さんのビューポイントなんだそうですょ。


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撮り鉄さんにレクチャーを受けプチ撮り鉄の
真似事をと試みたんですが

カメラのバッテリーが切れてしまいました。

アッチャパー



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母は強し あるおかんさん、

先日はありがとうございました。

『ご指摘の通りブーゲンビリアでした』

お礼申します。


扇屋福助



てんやわんやの大騒ぎ

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今日も朝から関西のTVワイドショーは大騒ぎ。

台風19号・20号の影響で西日本各地の太平洋側では、
既に大雨が降っているようで20号の上陸に伴って
総雨量が1.000ミリを超える可能性がある。

との予想が報道されています。

が、

そんな気象予報をしり目に朝から

カンカン照りの阪神間です。


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午後4時前の雨雲レーダーでは和歌山や神戸の一部で
雨が降っているようなんですけどねぇ~。


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空を見上げればこのような状態。


こんな青空で暴風波浪警報が出ています。


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備えあれば患いなしと言う諺があります。

山の守殿の命で植木鉢だけ一か所に集めて、
その他の物は室内に避難させ、
後は台風を待つばかり。



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河川の増水、浸水など厳重な


警戒が必要やてぇ~❔


ホンマかいなぁ~❔




仕事増やすなょ (# ゚Д゚)

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徳島発姫路経由若狭行きの台風20号は、23日深夜から
24日未明にかけて関西を走り抜けてくれました。

和歌山の熊野川を氾濫させ、淡路の北端震災記念公園に
設置されていた風力発電機を張り倒し、西宮のマンシ
ョンの屋根を引きはがしたうえ、京都の大将軍神
社まで踏みつぶして通りぬけたうえに、

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普通は台風一過、秋晴れの爽やかな朝が訪れるのですが、
今朝は早くから脱衣場状態の湿気に襲われており、
文句タラタラでべらんでに出てみれば❔

え~らいこっちゃ

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朝顔の植木鉢と虚弱体質の物置が転倒してる
ではありませんか。

何時倒れたんや❔

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日付が変わる頃、雨風が一段と強なったときやろか❔

気ぃ付けへんかったなぁ


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この罰当たりで恐れを知らない台風20号、


こんな迷惑な事までしでかしてくれました。

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コンクリート製の神戸和田岬防波堤の灯台の
先端部分、頂上部に設けられていた
LED灯器が高波にさらわれて
しまいましたょ

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元は頂上部がテラス状になっていて、テラス部分に
LED灯器が設置されていたんですけどねぇ~。


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台風の被害に遭われた方々には申し訳ございません。


台風でも遊ぶ大阪人の性、お許し下さい。





月満つれば則虧く

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ふと夜空を見上げれば今日は満月 !

『何か良いことありそうやん❔』、願い事でもと思いがち
ですが、願い事は新月に行うもので、満月に
行っても効果が無いようですねぇ。

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まぁ~るく明るく輝いた月を見ているとなにか
満たされた気分になりますねぇ~。

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扇屋、永の浪々生活が続き『月満つれば則虧く』の
諺通り、財布が羽よりも軽くなってしまいました。

そこで、

『満月に空財布を3回翳すと金運がアップする』

と云う諺を信じて



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諺の通りに、


満月の日には空財布を翳していますが❔



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つろまんなぁ~



祈りのまち住吉

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古墳時代から外港の要港であった住吉津・難波津は、大坂
上町台地の基部西端に位置し、その地に国家的な
航海守護の神として住吉三神が祀られました。

今日は古代からの祈りの香りが色濃く残る
熊野街道沿を訊ねてみました。

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またまたやって来ました南海高野線の住吉東駅。

今回は住吉東駅西口からの巡拝です。

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住吉東駅西口を出て、道なりに北に上ると『ボケ封じ』
有名な東福寺さんの前に出てきます。

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神仏習合の名残がする東福寺は、大阪市住吉区にある
信貴山真言宗の仏教寺院で、山号を
天王山といいます。

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鳥居を潜ると山門の手前左側に親子地蔵の祠があります。

地元では子授け地蔵として有名なのですょ

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東福寺本尊の毘沙門天に楠木正成公が子授け祈願を
し、楠木正行公が授かった伝説が残されています。

親子地蔵の参拝を済ませ、山門で一礼をして入山。

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五輪塔や役行者、観音像、弘法大師の祠、七福神の祠が
並んだ境内参道を進むと、

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正徳年間(1711~1716)に建立された本堂
(毘沙門堂)が出迎えてくれます。

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本堂内陣厨子に安置されている本尊の毘沙門天像は、
楠木正成公の念持仏と云われ、秘仏として正月
三ヶ日のみ開帳されているそうです。

因みに硝子戸の模様は金剛界曼荼羅を
模しているそうです。

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東福寺さんの参拝を終え西へ向かうと、

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東福寺山から西へ来ると熊野街道との四ッ辻にでます。

四ッ辻から北には住吉十三佛の宝泉寺さんが、

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宝泉寺は、住吉大社の東隣に位置する融通念仏宗の
仏教寺院で、山号を萬年山といいます。

恵心僧都が天元5年(982)に草庵の念仏坊を
開いたのが始まりと伝えられています。

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宝泉寺の住吉十三佛は、旧住吉村字石本から掘り出された
巨石を、十三体の石仏に刻んだもので、

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元亀・天正年間(1570~1591)に造られたと云われています。

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宝泉寺さんの住吉十三佛の参拝を終え、熊野街道を
南下中にこんな石碑に、

熊野街道は、摂津国渡辺津(現・天満の八軒屋浜)を
起点に南下し、四天王寺、住吉大社を経て
和泉国に入る街道なのです。

昔は街道沿いには熊野九十九王子神社が
点在していました。人々は王子神社を
辿りながら熊野詣を行って
いたと伝わっています。



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熊野街道をさらに南に下るのですが、



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またまた少しばかり時間を頂きます。







祈りのまち住吉東

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摂津国渡辺津を起点に四天王寺、住吉大社を経て和泉国に
入る熊野街道は、鉄路の発達や道路網の整備によって
その機能を失いつつありますが、今なお祈りの
街道としての姿が多く残されています。

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宝泉寺さんから熊野街道を少し南に下ると、
紀州街道が交差する北東角に、
池田屋本舗さんがあります。

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下屋に住吉大社の高燈籠が設置されている池田屋本舗。

元禄年間(1688~1704)に造り酒屋として創業。
明治初期に味噌の製造業に転業した
池田屋本舗の建物は、

明治25年(1892)に建築された白壁の虫籠窓の風情ある
商家で、国の指定登録有形文化財になっています。

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池田屋本舗から住吉街道沿いで2軒隣には、明治初期に
建てられた油屋さんの大和軒町家があり、
建物内部や裏にある土蔵も一般
公開されていますょ

現在は住吉福祉会館として使用されています。

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住吉街道から熊野街道に戻り、南に下ると
街道沿いに西之坊さんがあります。

住吉大社の社僧寺であった西之坊は、平安時代の
創建と伝えられ、神仏習合の名残を今も
留める仏教寺院なのです。

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山門を潜った正面に『金神堂』があります。

神功皇后が住吉の地に『三筒男大神』を遷座の折、
方位が悪かったため方除けの祈祷を行ったのが
金神堂だと伝えられています。

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西之坊さんから直ぐ南のはす向かいには、十の御利益が
あると云われる『ちぎり地蔵』の哀愍寺さんがあります。

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哀愍寺は大阪市住吉区にある浄土宗知恩院の末寺で、
天正元年(1573)に武田信玄公の一族の王念が
開山したと伝えられています。

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地元の人が『ちぎりさん』と親しみを込めて呼ぶ哀愍寺、
ちぎり地蔵で有名なのですが、別称十徳地蔵とも
呼ばれ、十の願いを叶えてくれるそうなんです。


本尊は恵心僧都作の阿弥陀如来なんですけどねぇ

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ちぎり地蔵に願いを掛けて、熊野街道をまた少し
南に下り、ファミマの路地を左に曲がります。

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路地を東に入ると左側に怪しげな公園があります。

ここ上住吉西公園は、文明元年(1469)に堺の豪商尾和宋臨が
建てた庵に、一休宗純禅師が晩年に仮棲した
牀采庵が在った所なんですねぇ。

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今では公園の片隅に石碑だけが

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熊野街道に戻りまたまた南に向けて

と行きたいところなんですが❔


ちぎり地蔵に願いを掛けた御蔭なんでしょうか❔

珍しく明日仕事が入りましたので、


今日はこの辺で



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最悪な一日でした( ;∀;)

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朝気持ちよく目覚めれば、その日一日何事も前向きに
取り組めるような気がするのですが、今朝は
最悪の目覚め

早朝の睡眠を貪る一番良い刻に、カーテン越しにチカチカと
明減が繰り返され、戦車が表通りを通過するような
騒音がしたと思ったら、大粒の雨音

別雷神に叩き起こされました。

こらぁ~最悪やでぇ~

『神様にたたき起こされるんやったら
美人の弁天さんやったら
許せるけどなぁ~』



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今日は久しぶりのお仕事の日

1週間ほどかけてまとめた資料

鞄を探ってみれば❔

入ってない

ガァ


なんでやねん!


しもたぁ~USBメモリー入れ忘れてるやん ! !




行宮とおもかる石

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天皇の行幸や政変などの理由で御所を失陥している場合に、
一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の
事を行宮[あんぐう(かりのみや)]、御座所
(ござしょ)、頓宮(とんぐう)と呼び、
社寺によっては行宮を
持つ所もありました。

そんな行宮が住吉にもありました。

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一休宗純禅師の牀采庵を巡ったのち熊野街道を南下

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熊野街道から長居公園通を右に曲がり、住吉大社裏参道を
越えて、次の道を左に曲がると 

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正面に住吉行宮跡が目の前に 

南北朝の時代に南朝の後村上天皇は度々住吉大社に
行幸し、足利義詮の降伏申し出後、正平7年
(1352)に吉野から住吉大社宮司
津守国夏邸内の正印殿を
行宮しました。

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南朝方の勢力挽回の中心地だった住吉行宮で、
後村上天皇の京都奪還はならず、はからずも
此の地で崩御されました。

その後、長慶天皇が住吉行宮で即位し、以後吉野に
移るまでの約9年間住吉を都としました。

また、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、徳川家康公は
本陣を住吉行宮跡に置き大坂城攻めを行いました。

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長居公園通に戻り住吉大社裏参道を北に向かいます。

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長居公園通から北に進むと直ぐに、地元で『子安さん』と
親しまれている子授け、安産、子育ての
地蔵寺さんがあり、

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地蔵寺の山門内に五大力菩薩像が安置されています。

かつては住吉大社神宮寺で祀られていた
五大力菩薩なのです。

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この画像は住吉大社境内に『空っぽの五大力祠』
設置し、五大力と墨書きをした小石をお守り
代わりに住吉大社は売り出しています。

『さすがは御商売上手なお宮さんですなぁ』

『廃仏毀釈で五大力尊を切り捨てたのに、
ブランド名だけは握ってはります』

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地蔵寺さんから北に進むと初辰まいりの
大歳社があります。

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鳥居を潜った正面に大歳社拝殿があります。

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大歳社の南隣にはちょっとけったいなお宮さんがあるんです。

おいとぼし社と言って由来も祭神もよく解らない
不思議な神社が鎮座しています。

ただ、おいとぼし社には大阪で超有名な
『おもかる石』が置いてあります。

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おもかる石の前で二礼二拍手一礼し石を持ち上げ、
元の位置に戻し、石に手を置き願いを掛けて
もう一度持ち上げてみて、前よりも
『軽い』と感じたら願望が
成就するらしい。


❔❔❔❔❔


みんな一回だけしか持ち上げへん
なんで❔
願い掛けてへんねんやろか❔


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大歳社の北を流れる細江川を渡るとそこに、その昔
杜若で有名だった淺澤社があります。

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摂津名所図会や浪花百景に取り上げられた杜若。
都市化が進んだ現代は・・・・・寂しい姿に。

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住吉大社側から玉垣越しに淺澤社を見ると、
少しは昔の面影が偲べるんですねぇ。



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淺澤社から少し西に行くと住吉大社


車返しの桜の前に出るのですが


今日はこの辺で


おやすみなさぁ~い。





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