戦国時代の摂津国にはさまざまな種類の都市が建設され、
池田や伊丹などには城下町が建設されていました。
大坂石山本願寺が一向宗の本山になると、大坂平野の
各地に衛星都市の様に寺内町(城)群が形成され、
塚口御坊(城)も応永16年(1410)に尼崎と
伊丹を結ぶ街道沿いに寺内町として
塚口御坊が建設されました。
図説尼崎の歴史・中世編によれば、塚口御坊(城)は一向宗
寺院境内に発達した集落で、塚口御坊を中心に栄町・
清水町・北町・南町に区画され、四つの町には
それぞれ門が設けられていました。
現在は、市街化のため面影を失っていますが、
東門跡に土塁の一部が残存するほか、
環濠跡が水路として残されています。
阪急塚口駅北口から少し北に向かい、最初の通りを
右に曲がります。
塚口駅北口を東に向かい駅の外れで、
電車道沿いにやって来ました。
写真中央の住宅付近に南町門があったようです。
平成17年(2005)に塚口御坊(城)南部環濠の屈曲部発掘で、
部分的に環濠が二重に掘られていたことが解りました。
南町門から少し西に位置する西側の環濠跡を北に向かいます。
当時の環濠をそのまま埋め立てられたため、
道路が弓なりに曲がっています。
正面右の駐車場付近が環濠の北西角になり、
少し東に向かうと北町門跡に出ます。
御坊(城)を守る門には道祖神が祀られ、北町門跡にも
道祖神の祠が残されています。
北町門跡から環濠沿いに東に進み清水町門跡にやって来ました。
手前に見える水路は環濠跡を利用した水路で、
正面の高台に清水町の道祖神の祠が
残されています。
環濠の土塁上に設けられた清水町の道祖神祠です。
清水町道祖神祠から少し南に下った会館の前に、江戸時代の
藩領の境を示す石碑が残こされていました。
清水町門跡から県道13号を南に下り東町門跡にやって来ました。
此処を右に曲がると東町門跡があります。
写真では解り難いのですが、東町門を守護する道祖神祠の
右に少し塚口御坊(城)の土塁が残されています。
東町門跡から寺内町に通じる道路沿いに、
酒樽の菰樽業の矢野商店があります。
江戸時代から菰樽業をやっているそうです。
矢野商店からさらに西に向かうと正玄寺の築地塀が迎えてくれます。
正玄寺の築地塀に沿って御坊内には南北の堀がありました。
正玄寺山門です。
西摂の一向一揆は塚口御坊(城)が中心となり、川辺郡や豊島郡
・能勢郡の末寺道場を組織し、起こしたと伝えられています。
正玄寺本堂です。
織田信長と荒木村重との戦いで塚口御坊(城)は壊滅したのですが、
正玄寺は塚口御坊の後を引き継ぎ現在に至っているそうです。
正玄寺から少し南に下った所の南町門跡を守った
道祖神の祠にお詣りして、塚口城跡(御坊)を
後にします。
塚口御坊(城)南町門跡から西に通じる道路は、旧環濠に
向かって付けられていた水路跡で、塚口御坊(城)への
物資輸送のために設けられた水路だったようです。
この道を西に行くと阪急の塚口駅に出ます。
足元には沢山の歴史が詰まっていますねぇ。





