現在の大阪市天王寺区小橋町一帯は、旧木野村・小橋村と
呼ばれていて、村には共用の用水味原池が在りました。
味原池の周囲は桃畑が多くあり、桃山とも呼ばれていました。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、「味原池
小橋村の西に在り 一名比賣許會神の御影池という
土人ため池と呼ぶ」と記しています。
また摂津名所大成には「またの名を白鴨御池
味原の池ともいう」と記しています。
(画像は早稲田大学図書館からの借り物です)
幕末期に描かれた浪花百景石和板産湯味原(画・雪芳)です。
明治30年(1897)代頃までは味原池周辺は、大阪屈指の
大桃林が在り、弥生の花盛りは遊覧客で
賑ったと伝わっています。
(画像は大阪市立中之島図書館からの借り物です)
先日の鎌八幡前の餌差町交差点を南に下り
千日前通の小橋町交差点に向かいます。
千日前通の小橋町交差点を東(左)に向かいます。
天王寺小橋町郵便局を北に少し入ると左側に
産湯稲荷神社があります。
産湯神社の創建は不祥なのですが、比売許曾神社の
旧境内地に在り、大小橋命の産湯井戸近くに在って
産湯稲荷と呼ばれていたようです。
祭神の大小橋命は天児屋根命の十三世の後胤で、味原郷に
誕生し境内地の玉之井を汲んで産湯に用いたことから、
此の地が「産湯」と呼ばれるようになりました。
本殿の北側に位置する玉之井「産湯の清水」です。
産湯の清水は「千早振 神代のままに 濁りなき
高津のしみづ くむも涼しき」と歌にも詠まれた
名水だったのですが、水質の悪化と水位の
低下で平成8年(1996)に改修を行った
のですが、飲用不可のようです。
玉之井の奥(西側)に設けられた祠に
安置されている不動明王像です。
神仏習合の名残なんでしょうかねぇ。
正面に向かって坂が続き、産湯稲荷神社から先が
味原池の跡地で一気に低くなっています。
ビル群林立し味原池の面影は無くなっています。
産湯神社の西側は上町台地の丘陵になってをり、
この付近に桃畑が沢山あったようです❔。
現在は桃の木一本見当たりません![]()

上町台地も明治の中頃までは緑豊かな
所やったんですねぇ。
続いて千日前通を西に向かい、
近鉄上本町駅に向かうのですが・・・
いまだ写真の整理が出来ていません。
一寸お暇を・・・・





