四ツ橋は長堀川と西横堀川が交差する2つの川に4つの橋が、
東西南北に架かっている珍しさから浪花随一の
名所となっていました。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には『此地の名物
として烟管屋軒を並べ、種々様々の形せし品ありて、
買手の望みに任す』とあり、四ッ橋には
煙菅屋が沢山あったようです。
(注・1)
幕末期に初代長谷川貞信の浪華百景『四っばし』には、『東西は
長堀川にて、南北は西横堀川の二流、十文字の中に渡せる橋
四つあり。各々名はあれど、只その数によりて四ツ橋の名
高し。名物煙菅屋は西南に軒を並べ、家毎に客を招かん
ことを争う。此辺新町堀江および道とん掘に近ければ、
昼夜往来にぎはしく、浪花順覧の専地といわんか。
(改行、句読点、文字使いは少し改めています)
(注・2)
浪華百景石板版『四つ橋』には、北に上繋橋、南に下繋橋、
西に吉野屋橋、東に炭屋橋と十字路の横断歩道の
様に橋が4つ描かれています。
(注・2)
観光名所としての面影が残る明治時代の四ツ橋です。
昭和38年(1963)頃の四ツ橋です。
この時代には大阪にもトロリーバスが走っていました。
現在の四ツ橋筋四橋交差点です。
江戸時代から市街地の景勝地として親しまれていた四ツ橋、
昭和40年代に入り堀川が次々に埋め立てられ
その姿が消滅することになります。
堀川の埋め立てに伴って幻の四ツ橋となり、今では旧四ツ橋跡の
碑と交差点にその名を残すのみとなりました。
四ツ橋筋四橋交差点北東詰めから見た旧四ツ橋跡の風景です。
正面右端に写っている中国銀行ビルから西(右側)にかけて
煙菅屋が軒を並べていた所です。
煙菅屋があった旧四ツ橋西南詰から東に移動し、
南東詰から旧四ツ橋跡の風景です。
旧四ツ橋の東に架かっていた炭屋橋南東詰から見た
新橋(心斎橋)方面の風景です。
新橋から心斎橋、佐野屋橋の間には長堀石濱と言って
石屋の密集地域があり、長堀から石材が
石工の元へ運ばれていました。
長堀石濱は次回に
四ツ橋煙菅屋の内、播磨屋源蔵の店で販売された
四ツ橋の煙菅は、喫煙全盛の江戸時代には
ブランド品として大坂随一の土産物
やったらしいんですょ。
注・1 早稲田大学図書館蔵
注・2 大阪府立中之島図書館蔵






