Quantcast
Channel: 浪花のおじさんぽ (^^♪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 713

行宮とおもかる石

$
0
0


天皇の行幸や政変などの理由で御所を失陥している場合に、
一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の
事を行宮[あんぐう(かりのみや)]、御座所
(ござしょ)、頓宮(とんぐう)と呼び、
社寺によっては行宮を
持つ所もありました。

そんな行宮が住吉にもありました。

イメージ 1

一休宗純禅師の牀采庵を巡ったのち熊野街道を南下

イメージ 2

熊野街道から長居公園通を右に曲がり、住吉大社裏参道を
越えて、次の道を左に曲がると 

イメージ 3

正面に住吉行宮跡が目の前に 

南北朝の時代に南朝の後村上天皇は度々住吉大社に
行幸し、足利義詮の降伏申し出後、正平7年
(1352)に吉野から住吉大社宮司
津守国夏邸内の正印殿を
行宮しました。

イメージ 4

南朝方の勢力挽回の中心地だった住吉行宮で、
後村上天皇の京都奪還はならず、はからずも
此の地で崩御されました。

その後、長慶天皇が住吉行宮で即位し、以後吉野に
移るまでの約9年間住吉を都としました。

また、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、徳川家康公は
本陣を住吉行宮跡に置き大坂城攻めを行いました。

イメージ 5

長居公園通に戻り住吉大社裏参道を北に向かいます。

イメージ 6

長居公園通から北に進むと直ぐに、地元で『子安さん』と
親しまれている子授け、安産、子育ての
地蔵寺さんがあり、

イメージ 7

地蔵寺の山門内に五大力菩薩像が安置されています。

かつては住吉大社神宮寺で祀られていた
五大力菩薩なのです。

イメージ 8

この画像は住吉大社境内に『空っぽの五大力祠』
設置し、五大力と墨書きをした小石をお守り
代わりに住吉大社は売り出しています。

『さすがは御商売上手なお宮さんですなぁ』

『廃仏毀釈で五大力尊を切り捨てたのに、
ブランド名だけは握ってはります』

イメージ 9

地蔵寺さんから北に進むと初辰まいりの
大歳社があります。

イメージ 10

鳥居を潜った正面に大歳社拝殿があります。

イメージ 11

大歳社の南隣にはちょっとけったいなお宮さんがあるんです。

おいとぼし社と言って由来も祭神もよく解らない
不思議な神社が鎮座しています。

ただ、おいとぼし社には大阪で超有名な
『おもかる石』が置いてあります。

イメージ 12

おもかる石の前で二礼二拍手一礼し石を持ち上げ、
元の位置に戻し、石に手を置き願いを掛けて
もう一度持ち上げてみて、前よりも
『軽い』と感じたら願望が
成就するらしい。


❔❔❔❔❔


みんな一回だけしか持ち上げへん
なんで❔
願い掛けてへんねんやろか❔


イメージ 13

大歳社の北を流れる細江川を渡るとそこに、その昔
杜若で有名だった淺澤社があります。

イメージ 14

摂津名所図会や浪花百景に取り上げられた杜若。
都市化が進んだ現代は・・・・・寂しい姿に。

イメージ 15

住吉大社側から玉垣越しに淺澤社を見ると、
少しは昔の面影が偲べるんですねぇ。



イメージ 16



淺澤社から少し西に行くと住吉大社


車返しの桜の前に出るのですが


今日はこの辺で


おやすみなさぁ~い。






Viewing all articles
Browse latest Browse all 713

Trending Articles