天皇の行幸や政変などの理由で御所を失陥している場合に、
一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の
事を行宮[あんぐう(かりのみや)]、御座所
(ござしょ)、頓宮(とんぐう)と呼び、
社寺によっては行宮を
持つ所もありました。
そんな行宮が住吉にもありました。
一休宗純禅師の牀采庵を巡ったのち熊野街道を南下![]()
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熊野街道から長居公園通を右に曲がり、住吉大社裏参道を
越えて、次の道を左に曲がると ![]()
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正面に住吉行宮跡が目の前に ![]()
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南北朝の時代に南朝の後村上天皇は度々住吉大社に
行幸し、足利義詮の降伏申し出後、正平7年
(1352)に吉野から住吉大社宮司
津守国夏邸内の正印殿を
行宮しました。
南朝方の勢力挽回の中心地だった住吉行宮で、
後村上天皇の京都奪還はならず、はからずも
此の地で崩御されました。
その後、長慶天皇が住吉行宮で即位し、以後吉野に
移るまでの約9年間住吉を都としました。
また、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、徳川家康公は
本陣を住吉行宮跡に置き大坂城攻めを行いました。
長居公園通に戻り住吉大社裏参道を北に向かいます。
長居公園通から北に進むと直ぐに、地元で『子安さん』と
親しまれている子授け、安産、子育ての
地蔵寺さんがあり、
地蔵寺の山門内に五大力菩薩像が安置されています。
かつては住吉大社神宮寺で祀られていた
五大力菩薩なのです。
この画像は住吉大社境内に『空っぽの五大力祠』を
設置し、五大力と墨書きをした小石をお守り
代わりに住吉大社は売り出しています。
『さすがは御商売上手なお宮さんですなぁ』
『廃仏毀釈で五大力尊を切り捨てたのに、
ブランド名だけは握ってはります』
地蔵寺さんから北に進むと初辰まいりの
大歳社があります。
鳥居を潜った正面に大歳社拝殿があります。
大歳社の南隣にはちょっとけったいなお宮さんがあるんです。
おいとぼし社と言って由来も祭神もよく解らない
不思議な神社が鎮座しています。
ただ、おいとぼし社には大阪で超有名な
『おもかる石』が置いてあります。
おもかる石の前で二礼二拍手一礼し石を持ち上げ、
元の位置に戻し、石に手を置き願いを掛けて
もう一度持ち上げてみて、前よりも
『軽い』と感じたら願望が
成就するらしい。
❔❔❔❔❔
みんな一回だけしか持ち上げへん
なんで❔
願い掛けてへんねんやろか❔
大歳社の北を流れる細江川を渡るとそこに、その昔
杜若で有名だった淺澤社があります。
摂津名所図会や浪花百景に取り上げられた杜若。
都市化が進んだ現代は・・・・・寂しい姿に。
住吉大社側から玉垣越しに淺澤社を見ると、
少しは昔の面影が偲べるんですねぇ。
淺澤社から少し西に行くと住吉大社
車返しの桜の前に出るのですが
今日はこの辺で
おやすみなさぁ~い。