西宮今津は、室町時代に始まったといわれる「灘の酒」の産地で、西、
御影、魚崎、西宮に今津を加え『灘五郷』と呼ばれてきました。
灘五郷之絵図です。
右下の矢印の所が今津港になります。
江戸時代の初めには米や木綿、油、酒、紙などの生活必
需品が、江戸へ船で送られていました。
江戸へ運ばれる仏師の中で酒は「下り酒」といって重要な商品で、
酒だけを単独で積む『樽廻船』が今津港から
多くの船が出航していきました。
西宮浜の航空写真です。
赤い矢印の所が今津港、赤い線の所が阪神電鉄
浜甲子園線が通っていた所です。
写真では解り難いのですが赤矢印右下の白丸の
所に、幕末に造られた今津砲台がありました。
甲子園浜から今津港方向の現在の風景です。
海岸沿いに西へと向かいます。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会に記された
西宮「御前の浜」の鯛漁の図です。
西宮の沖は、古来より「御前の浜」と呼ばれ漁業が盛んで、
干鰯問屋が37軒もありました。
甲子園浜から香露園浜にかけて地引網漁が行われていました。
海岸では干鰯の製造が盛んに行われていました。
干鰯が製造されていた海岸です。
中央の丘になった所に今津砲台がありました。
江戸時代末期に江戸幕府が沿岸防備のため大阪湾岸に
多くの砲台を作りました。今津砲台も今津港の
入り口東側に造られました。
写真は西宮郷土資料館からの借り物です。
今津砲台は大正4年(1915)に民間に払い下げられたあと、
石を取るために破壊され今津港から運び出されました。
その砲台の一部が今津港入り口に
記念碑として残されています。
昭和30年代の今津港の風景ですが、港一帯は
干鰯で埋め尽くされていました。
現在の今津港の姿です。
写真の左に位置する灯台は、現役の航路標識として使われている
灯台としては日本最古のもので、今津郷の酒造家であった
大関酒造の長部家によって文化7年(1810)に
設置されました。
今津港から江戸へ酒を運んだ樽廻船の復元模型です。
徳川幕府は西国大名の海軍力を恐れ大船の所有を禁じたため、
帆柱一本で一枚帆で甲板の無いお椀船のような
沿岸航海用の千石船になったようです。
明治以前にはこのような千石船が
今津港から出港していました。
想像しただけでも楽しいものです。
今津港の西隣には堀江健一さんが、太平洋単独横断の
旅に出航した西宮港があります。
えべっさんの鯛は御前の浜の鯛なんや~