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高須神社におじさんぽ

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        中世に貿易港として発展し『東洋のベニス』として繁栄を極めた
           堺は、摂津国・和泉国・河内国の三国の境に位置する
                 ことから『さかい』と呼ばれていました。

イメージ 1

文久改正堺大絵図(文久3年(1863))です。 注・1

矢印の上が大和橋から続く紀州街道で、矢印の所の
環濠北東部に高須神社があります。

室町時代後期から四方を濠で囲む環濠集落を形成していましたが、
江戸時代初期の元和の頃に図のような碁盤目状の街路が
整備され環濠都市が完成したそうです。

イメージ 2

明治42年(1909)の堺測量図にも当時の面影が残されています。

南北約3km、東西約1kmで黒く映っている所が環濠部で、
北東部の矢印の所に高須神社があります。

イメージ 3

現在の高須甚所周辺の地図です。

地図のピンク色の部分が環濠内になり、高須神社は
阪堺電車と阪神高速堺線の間に位置します。

イメージ 4

大和川停留所から阪堺電車に乗り高須神社前にやって来ました。
ホームを出てすぐに右(東)に曲がります。

イメージ 5

高須神社前停留所を出て直ぐ右に曲がった所に高須神社が
あるのですが、社殿は一般住宅風で鳥居が無ければ
とても神社とは思えません。

イメージ 6

2階建ての建物の右端に拝殿があります。

高須神社は、大阪府堺市堺区北半町に鎮座する神社で、堺の
鉄砲鍛冶芝辻理右衛門が江戸幕府から高須の地を賜り、
堺の繁栄を願って稲荷明神を勧請し
高須神社が建立されました。

イメージ 7

拝殿の中に千鳥破風付入母屋造の本殿が
建立されています。

御祭神  保食命     配祀  猿田彦命
                     大宮姫命
                     大物主命

イメージ 8

建物を回り込むと多くの境内社が並んで祀られています。

イメージ 9

寛政8年(1796)に刊行された和泉名所図会には、堺環濠都市の
北東部に位置する高須稲荷社として記されています。 注・2

図の右上で境内の角が環濠部になります。


イメージ 10

阪神高速15号堺線下の高須神社前交差点が堺環濠都市の
北東端ぶになり、右の高速部分並びに手前の
道路は環濠跡になります。

環濠跡の道路を南海電車七道駅の方(西)に向かいます。

イメージ 11

イメージ 12


イメージ 13

七道駅の手前まで来ました。

写真の向こうが高須神社になり、道が少し曲がりかけている
所から環濠は写真の右方向に曲がっていました。

イメージ 14

左の住宅と右の電柱の間の歩道部分が西の環濠跡です。

イメージ 15

西の環濠から少し西側に南海電車の七道駅がありますが、
きゅうに道路幅が狭くなりました。

イメージ 16

七道駅ガード下を潜ってすぐ左に堺鉄砲鍛冶射的場跡の
石碑があります。

この場所に新造の鉄砲を試射を行う施設が
在ったと記されていました。



イメージ 17



綾の町停留所の方に向かってお散歩を続けます。


注・1 堺市政100周年誌より借用しました。
注・2 早稲田大学図書館より借用しました。
  






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