大東亜戦争(太平洋戦争)の末期の昭和19年(1944)から敗戦
(終戦)の昭和20年8月15日まで、連合国軍(アメリカ軍・イギ
リス軍)による日本本土空襲が行われました。
昭和19年末ごろから戦略爆撃が熾烈となり、昭和20年には無
差別絨毯爆撃が全国の主要都市を中心に行われてきました。
アメリカ軍のB-29戦略爆撃機のみならず、アメリカ・イギリスの
空母機動部隊の艦載機による機銃掃射という攻撃も行われてき
ました。
沿岸部の都市では航空戦力だけでなく、艦砲射撃による砲撃も
行われました。
原爆による火災の火が、NHK広島放送局の横に「平和の灯」として保存されています。
昭和20年8月6日、暑い真夏の太陽が照りつける朝の午前8時
15分、アメリカ軍のB-29戦略爆撃機から1発のウラン型原子力
爆弾が広島市街地に投下されました。
投下された原爆は地上約600m上空で炸裂。
中心温度が100万度を超えた火の玉による爆風で、14万もの
広島市民が亡くなりました。
空襲は昭和20年8月15日の敗戦(終戦)当日まで続き、全国で
100万もの方が亡くなられ970万の人が被災されました。
第97回全国高等学校野球選手権大会始球式です。
戦後70年の今年は、全国高等学校野球選手権大会が始まって10
0年を迎える記念の節目となりましたが、100年の歴史の中で戦局
の悪化と戦後の混乱期に4年高校野球は開催されませんでした。
全国3906校の頂点をかけ8月6日の今日、阪神甲子園球場で第
97回全国高等学校野球選手権大会が開幕しました。
大正4年(1915)8月の第1回全国中等学校優勝野球大会から100
年の節目を記念して、開会式では第1回大会に出場した10校の現
役野球部員が復刻ユニホームで、「高校野球100年」の横断幕を手
に入場行進に参加した。
第1回出場の京都二中の流れをくむ鳥羽高校の梅谷主将が「次の
100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で
躍動することを誓います」と選手宣誓をした。
大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦(終戦)から70年を迎えるにあ
たり、安部晋三首相の戦後70年談話が注目されています。
昭和26年(1951)に日米安全保障条約が署名され、昭和35年あ
らたな日米安全保障条約が締結批准し、アメリカ軍の日本駐留が
引き続き認められました。
その条約をより強力なものにしようと、平和安全法制整備法並び
に国際平和支援法が国会で審議されています。
憲法9条が国の安全を守ってくれるのか
日米安全条約が国の安全を守ってくれるのか
自衛隊にこの国の安全が守れるのか
国際情勢・国際政治とはなにか
国際軍事情勢とは
ガラパゴス日本人が平和ボケした頭で
考える時期が来たようです。