大阪北浜は船場の北端に位置し、土佐堀川に面する土佐堀通
(外北浜通)と内北浜通の両側町で、東西に長く1丁目から4丁目
まであります。
寛保3年(1743)に、金・銀・銭の取引相場を決める金銀会所が高
麗橋から北浜に移転し、安永6年(1777)には長崎に向けて輸出商
品を売買する俵物会所が、備後町から北浜へ移転してきました。
以後、大坂北浜は金融の町として栄えてきましたが、明治維新後
に薩長政府の銀目の廃止や株仲間の廃止に伴い北浜の金融街
は混乱を起こします。
明治5年(1872)の国立銀行条例や同11年の株式取引所(現・大阪
取引所)の開設で、北浜は銀行や証券の町として発展してきました。
大正13年(1924)に作成された大阪パノラマ地図です。
淀屋橋北詰から土佐堀川に沿って難波橋(通称ライオン橋)
南詰にやって来ました。
難波橋南詰を上がるとそこが北浜2丁目
旧大阪証券取引所が目の前に。
明治11年(1878)6月、五代友厚を中心に住友吉左衛門
代理広瀬宰平、堂島米会所頭取磯野小右衛門らによって
北浜2丁目の金会所跡地に大阪株式取引所が
開設されました。
明治44年(1911)に大阪株式取引所の本館事務室が
落成しました。
大正14年(1915)の取引市場です。
昭和10年(1935)に落成した大阪株式取引所です。
昭和10年に落成した取引所市場です。
現在の大阪取引所前に設置された五代友厚像です。
大阪取引所正面玄関から入った1階ロビーです。
こちらから専用エレベーターで5階まで上がります。
5階に設けられたOSEギャラリーです。
正面のシミュレーターで株式や先物・オプションの
売買が体験できます。
展示コーナーも設けられていました。
展示コーナーには各種資料や文献などが
パネルで展示されていました。
明治11年に古代友厚が大蔵卿に提出した
大阪株式取引所設立趣意書です。
明治11年大蔵卿大隈重信が署名した
大阪株式取引所の開業免状です。
鰹節と削り器のような撃柝です。
実際に使っていたものだそうです。
東証と合併する以前の大阪証券取引所(大証)
時代にはこのような市場も見学できたのですが
大阪取引所になってからは立ち入り禁止になりました。
大阪取引所の筋向いのクリタが入るビルの所に
俵物会所がありました。
俵物と呼ばれる「鱶のひれ、干しなまこ、干しアワビ」
などは、当時の重要な特産品で長崎から
外国向けに輸出されていました。
俵物の売買を行う会所が延享元年(1744)から
明治維新までこの地にありました。
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