November 3, 2018, 12:07 am
先月末から朝夕めっきりと冷え込み始めた阪神間、
扇屋地方の街路樹も少しずつ秋色に
染まり始めました。
今年の夏は例年以上に暑い日や日照時間も長く
続いたようで、鮮やかな銀杏紅葉が観れると
期待をしていたのですが❔
❔
枝葉をよく見ると、色づきながら枯れ始めています。
9月に続いた台風の影響で枝葉の多くに傷みが目立ち、
塩害なのか色づく前に枯れて落葉しています。
北海道から始まった紅葉前線は東北を経由して、
毎年関西を11月下旬頃に通過予定。
神戸の気象台は『鮮やかな紅葉が今年も期待できる』と、
発表していますが、
あの街路樹を見たら、
絶対に信用でけへんわ
↧
November 4, 2018, 3:35 am
尼崎城は大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に
築かれた城で、大実穀膳所藩主の戸田氏鉄が
元和3年(1617)に築城しましたが、
明治6年(1873)薩長連合太政官政府による廃城令により、
建屋から石垣に至るまで取り壊されてしまいました。
駅前広場を朝鮮総連に完全に占拠された
阪神尼崎駅にやって来ました。
城址公園に行く前に駅前公園で行われている
菊花展にちょいと立ち寄りました。
黄色の厚物系はええねぇほんと
惚れ惚れするわ
紅色の細い管物系も何とも言えません
赤色系の厚物です。
近年は品種改良なのかダリヤに近い
菊が増えましたねぇ
阪神電鉄尼崎駅から南東に歩いて5分の庄下川沿いで、
行われていた尼崎城の再建工事が間もなく完了予定。
『尼崎城を再建し、市に寄付したい』と、
平成27年(2015)市内の家電量販店創業者の申し出を受け、
尼崎城再建計画が動き出し、一口城主等の市民参加も
あり、今月中に完工し来春公開が予定されています。
1階は展示場、2階からはシアタールームなどのギャラリー
となり、5階は展望室になるのですが地上24mの
微妙な高さのため、ARを利用した展望室に
なる予定だそうです。
お昼を少し回ったので阪神電車に乗って三宮に向かいます。
その昔、甲子園球場で阪神巨人戦が行われたとき、
ファン同士のヤジ合戦で巨人ファンから
『阪神電車ぼろ電車、一寸行ってはすぐ止まる』
なんて言われていたのを懐かしく思い出し
やって来ました阪神三宮。
中途半端ですが今日はこの辺で
↧
↧
November 4, 2018, 7:56 pm
飲食店を一人で利用する『ひとり飯』は、世間で認められつつ
あるようですが、まだまだ気恥ずかしさなどの垣根が
高いとの意見が多いようです。
その代表の一つに回転寿司が挙げられています。
消費者実態調査によれば、回転寿司に一人で行った事の
ある人は、37.9%で、女性より男性、若年層より
中年層の方が多い結果が報告しています。
尼崎城址を後にした扇屋、小腹が空いたので
阪神電車に乗り三宮に出てきました。
穴熊擬きのように三宮地下センターを通って地上に
交通センタービルを通り抜けJR三ノ宮駅西口にやって来ました。
回転寿司の海鮮三崎港
時分時を過ぎていたおかげで
『すいてるやんか』
一人回転寿司は営業職の人たちは比較的多くの方が、
利用しているようなんですけど、扇屋
人様の目線より食い気が先
人目なんか『なぁ~にも気にしてません』
腹の虫抑えをしたのち、明石城址公園で
行われている菊花展を観に行こうと
JR三ノ宮駅に駆け上がると
姫路行の新快速が止まってるやん
ラッキー
午後1時20分ごろ野洲発姫路行の新快速電車に、
姫路の女性がはねられる事故が起こりました。
運転士が下りホームから線路内に立ち入る女性に気づき、
非常ブレーキをかけたが間に合わず
事故になったようです
事故の結果ダイヤは30本以上が運休し、30本が最大1時間の
遅れが発生し、約1万7千人に影響が出たと云います。
扇屋もそのうちの一人なんですょ
急遽阪神の三宮に戻り山陽電車で明石にやって来ました。
山陽の明石駅とJRの明石駅は隣通しで並んでいるのです。
しかも駅のコンコースも共用でお互い仲良く❔
共存した振りをしていますが
大人なんですねぇ~
うわべだけ
仲良うした振りしてんねんやろ
↧
November 5, 2018, 10:26 pm
五畿七道の一つである山陽道(中国街道)が通り、北には
丹波国、但馬国への追分が、また淡路国から四国へと
古来より交通の要所であった明石に、徳川政府が
西国の外様大名の抑えとして明石城を
国策として築きました。
『小笠原右近(忠政)殿へ、いつぞや御約束申し候中津の
殿主儀(天守閣)、右近殿次第に渡さるべく候』・・
なんて
明石藩主の小笠原忠政の築城準備が整い次第、
約束していた中津城の天守閣を渡すように
記した手紙があります。。が・・・❔
経緯はどうであれ約束が果たされたのかどうか❔
明石城に天守閣が建てられた形跡がありません
未だ天守閣の無い明石城三の丸広場で
今年も菊花展が開かれています、
明石市の菊花展は、大正12年(1923)兵庫県立農業試験場で
栽培されていた菊の一般公開に始まったそうで
今年で90回目を迎えるそうなんです。
いつも思うのですが『これダリヤと違ぃまんのか❔』
やっぱり菊は厚物の三本立てがええねぇ
いぃや、細管物の三本立てが一番ええのんとちゃう❔
(扇屋の勝手な主観です)
うちの母が好きだった小懸崖です。
子供の頃連れられて行った、ひらかたパークの
菊人形が脳裏に浮かびます。
菊の香と何か腹をくすぐる香りが漂っています。
何の匂い❔
なんかいな❔
菊花展の隣の広場では肉フェスタと銘打って、明石のお
肉屋さんが集まってステージイベントや
ワークショップが開かれています。
お肉とお酒、音楽とダンスなんやて~
扇屋には縁ないわ
重たい足を引きずりながらJR明石駅まで帰って来ました。
尼崎城址から三宮を経由して明石城址、
たった三か所立ち寄っただけやで
もう4時前やんか
今日は姫路行くの諦めよ
↧
November 7, 2018, 7:28 pm
毎度何時もの公園で、暇を持て余したお爺お婆軍団、
『扇屋はん、あのブログ宜しおまんなぁ~、今度
儂らも連れてってくれまへんか❔』と曰く。
『えぇ~いつも独り行動の勝手気に遊んでんのに、
めんどくさいこと言わんとってぇやぁ』と、
心の中で独り言を言いながら、
昨日とうとうその日がやって来ました。
6人のお爺お婆軍団『腹が減っては戦が出来ぬ』と
中華レストランで腹ごしらえをして
『ほな行きまひょか❔』
肥後橋を渡って土佐堀沿いに東の方へ
ここ以前にNHKの朝ドラの舞台になった
『両替屋の加嶋屋があったとこですわ』
なんて説明しながら
今は埋め立てられ高速道路が通ってる旧西横堀川沿いに
ある、住友銀行の本店前を通って
を撮りながら、
『明治の初め頃、ここに手形交換所がおましてん
』
住友銀行本店の東の入り口横に、「明治12年(1879)に
一定の地域内に所在する金融機関が申し合わせに
よって、手形や小切手などを持ち寄って決済する
日本最初の手形交換所が設立されました。」
と、説明する石碑が建てられています。
住友銀行本店南東角で筋向いのビル前に
こんな説明板が生垣の中に、
帝国座と言って明治43年(1910)、当時新派の俳優だった
川上音二郎が、実業家の支援を受けて大阪で
はじめて西洋式の劇場を開場しました。
帝国座跡からさらに南に下り高麗橋通にやって来ました。
角のビルは大阪倶楽部と言って、大正元年(1912)に大阪の
財界人らによって創立された、会員制の社交倶楽部で
綿業会館、大阪ガスビルとともに大阪三大名建築の
一つと言われています。
大阪倶楽部の東隣にある和菓子の鶴屋八幡、
江戸時代の元禄15年(1702)創業で摂津名所図会に
記されている『虎屋』が前身なんですけどねぇ。
なんてポイントを説明しながら御堂筋迄やって来ました。
今日は淀屋橋から地下鉄で帰ります。
なんちゅこっちゃ~
何で観光案内みたいなことせなあかんねん(# ゚Д゚)
↧
↧
November 8, 2018, 10:59 pm
天気予報によれば『寒冷前線が日本の上を通過する
影響で、大気の状態が不安定となり、落雷や
竜巻、激しい雨に注意が必要』と
朝から呼びかけていました。
『競馬の予想と天気予報』
両社は当たらないものの代表なのですが、今朝の阪神間
扇屋の出鼻をくじくような土砂降りの雨が降りました。
『天気予報珍しく当たっとるやないか
』
『珍しゅ当たるさかい、雨降んねん
』と、
呟きながら空を見上げていると、
降り続いていた雨がぴたりと上がり、
『ええ天気になってきたがな
』
お宮さんのカエデまもなく赤く染まりそうな
雰囲気になって来ました。
明日久し振りに上町辺り行ってみよかなぁ
神様仏様お願いします。
明日は晴れてくれぇ~パンパン
↧
November 9, 2018, 11:39 pm
今時『亥の子』と聞いても、『何のことですか』と全く
意識されなくなってしまった秋の収穫祭。
亥の子とは十二支の亥の月(旧暦10月)の亥の日、
亥の刻(午後9時~11時)に田の神様を
お祭りする収穫祭のことで、
古代中国の無病息災を願う『宮廷儀式・亥子祝』に
由来すると云われています。
大豆、小豆、ささげ、ごま、粟、柿、糖の7種の粉を
混ぜて作った餅を田の神様に供え、家族で
『亥の子餅』を食べて無病息災と
子孫繁栄を祈ったそうです。
今の時季、和菓子屋さんの前を通りかかると『亥の子餅』が
並べられているのをよく目にします。
お父さ~ん、お茶入りましたょ
今日のお茶うけは『亥の子餅』
今日は亥の日かいなぁ~
そんなん気にしたらあかん
旧暦10月の亥の日は、15日・27日なんですょ。
お間違えの無いように
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November 11, 2018, 4:08 am
11月11日は記念日が31個もあるってご存知でしたか❔
『文化の日』や『勤労感謝の日』といった祝日から、年中行事に
一般企業や業界団体が定めた『○○記念日』をまとめた
サイトの『日本記念日協会』によれば、なんと
31もの記念日があるのですねぇ。
数字の『1』をイメージして定められたものが多く、神戸・南京町の
豚まん専門店が、『11』を豚の鼻の穴に見立て
『豚まんの日』なんて定めました。
11月8日(木)に前夜祭が始って今日11日(日)まで4日間
神戸・南京町でKOBE豚曼サミットが開かれました。
中華料理店を中心にホテルや大学、調理専門学校まで
全16店舗がオリジナルの豚まんを
披露していたそうです。
が、
数字の『11』、扇屋が見ると太鼓の撥にしか
見えないんですけどねぇ❔
そこで扇屋は11月11日を『太鼓の撥の日』
と、勝手に決めてしまいました
一昨日ブログ旅で見つけました。
〘尼崎ジャズ・ブルースフェスティバル2018〙
今日訊ねてみましたょ
菊花展に続いてまたまた阪神尼崎駅前です。
今日は正面のエスカレーターに乗ってテラスの
会場に向かっています
会場にやって来ました。
一寸寂しい雰囲気ですねぇ、客がまばら
本当にパラパラ❔
演者は一生懸命演じているのにねぇ❔
ジャズを趣味にしてる人は少ないんやろなぁ
扇屋もそのうちの一人ですけどね。
駅前の中央公園で同じ時刻にうどん県の
『かんおんじフェアin関西』が開かれていました。
会場では特産品の販売や観光PRが行われていて、
同時にイベントとして『大野原龗王太鼓』が演奏していました。
『大野原りゅう王太鼓』迫力の和太鼓公演。
お腹に響きますねぇ
一寸行儀悪いのですけど『豚まんの日』なので
豚まんを戴きながら太鼓公演の観賞です。
何やらセンターに白装束で怪しげな演者が
大太鼓を演奏し始めましたょ
白装束に般若の面を着け撥を操っています。
迫力に観客の皆さん圧倒されています。
演奏も佳境に入ると最後のパホーマンスです。
太鼓に馬乗りになって演じています。
こんなパホーマンスされたら
ジャズは勝てんなぁ~
なぁ、『11』に見えるやろ
今日は何の日
太鼓の撥の日
でした。
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November 12, 2018, 12:38 pm
今年の9月23日に打ち上げられた無人宇宙補給機の『こうのとり7号』が、
11月8日に国際宇宙ステーション(ISS)から無事に分離され、
11日午前6時24分に実験試料を持ち帰る
『小型回収カプセル』を、こうのとり
7号から放出した。
こうのとり7号は大気圏突入で燃え尽きる一方、回収カプセルは
パラシュートを開き南鳥島近海に着水しました。
これまでISSからの物資回収技術はアメリカやロシアしか
持っておらず、JAXAは今回の実験を機に独自の
回収技術を獲得したことで、将来的には
有人輸送への応用を視野に
入れているそうです。
小型回収カプセルは地球帰還時に最大40Gもの重力が係るため、
時速200kmでコンクリートにぶつけても壊れない強度があり、
中身を取り出すまでの時間を考慮し、容器内を4日以上
4度前後に保つ『究極の魔法瓶』だそうです。
回収されたカプセルは南鳥島から
飛行機に乗って筑波に帰って来るそうなんですねぇ
弾道型でなく揚力型での落下実験
未経験ながら
画像はWeb上から借用しました。
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November 13, 2018, 10:04 pm
こんな経験したことありませんか❔
先日、写友のMさんに車で送り迎えをしてもらったのですが、
家の前で「お疲れ様でした」とお礼を言いながら車から
降り、玄関前で『あれ~ぇ、鍵有れへん』❔
自宅のベルを鳴らしても反応も無し
アッチ~ャ、山の守殿お出かけや
しょうがない山の守殿に電話しよと思い、
バックの中を弄るもなぜか
『携帯迄行方不明』
何で❔
あ~Mさんの車のなかゃ~と、 直ぐに気付いたのですがmさんの姿は・・・どこにも
『そやMさんに電話すればええねん』と気付いたのですが、
手元に携帯がないので連絡も出来ない
そや、公衆電話があるやん
そやけど公衆電話は何処に有るのん❔
あっちこっち探しまくっても見当たらず、通りすがりの
人に携帯貸してというわけにはいかず
昔は電話ボックスや赤電話なんぼでもあったんですが、
どこを探しての全く見当たりません。
諦めて帰りかけた時に公衆電話を発見
公衆電話を見て心がときめいたのは初めての経験 最近は若いお姉ちゃん見ても心ときめかんのに
電話電話と、ふと我に返って『電話番号』分れへん
携帯やスマホが出てくるまでは
こんなことなかったんですけどねぇ
携帯電話の大切さというか、スマホの存在というか、
昔はこんなこと経験することはなかったのに。
Mさんが車内の点検で気が付き、
直ぐに届けてくれ、
事なきを得ました
↧
November 14, 2018, 10:26 pm
大阪平野を南北に伸びる丘陵地帯の上町台地、大坂の陣の後
大阪城下の復興にあたった徳川幕府の政策で、市中に
点在していた寺院が上町台地に集められ、今日に
至るまで歴史ある宗教地帯となりました。
上町台地は豊かな歴史遺産や古典文化が数多く存在し、
いくつものドラマや物語が秘められた街なのです。
またまた大阪メトロ谷町線の夕陽ヶ丘駅にやって来ました。
こちらから南(左)に行けば天王寺さんの西門前なんですが、
今日は安土城の天守閣を捩った天鷺寺の前を通って
北に向かってお散歩です。
夕陽ヶ丘駅から北にふた筋の六万体交差点を右に曲がります。
六万体交差点を曲がると北側に鳳林寺さんがあります。
鳳林寺には俳人の上島鬼貫の墓があり、
一願不動尊で有名なお寺なのです。
一番大切な願いを叶えてくれると云われる一願不動尊、
大阪市内で一番大きな石造りのお不動さんなんです。
ノウマク・サンマンダバサラダン・センダメマカロシャダ
ソワタラ・ウンタラ・カンマン
ウッシッシ
山門のくぐり戸を潜って入山します。
最乗山鳳林寺は曹洞宗の寺院で、天正6年(1588)に
才庵存芸和尚によって創建されました。
観光寺でないので本堂は閉じられています。
本堂左隣に上島鬼貫が祀られた墓地があります。
江戸時代中頃の俳諧師上島鬼貫は『東の芭蕉西の鬼貫』と
称される程の俳人でしたが、門人を持たず孤高の
まま元文3年(1738)に亡くなりました。
本堂の横にひっそりと墓標が・・・
鬼貫さんのお墓参りを済ませ谷町筋に戻り、
北に向かっています。
正面右に何やら築地塀に新選組の裾模様のような❔
新選組ではなく忠臣蔵でお馴染みの赤穂義士
菩提寺の吉祥寺さんでした。
一礼して山門を潜り入山します。
吉祥寺は、大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院で、
赤穂藩浅野家の祈願寺だったのです。
境内の南側に赤穂義士四十七士の石像が・・・
四十七士の石像を見守るように境内の片隅には、
中央に浅野長矩、脇侍に大石親子、それらを
囲むように浪士の墓が建てられています。
あん
谷町筋を西に渡って、天王寺センター横を西に向かいます。
今回のおじさんぽ、新町の夕霧太夫を惜しんだ俳人の
上島鬼貫の墓を訊ね、井原西鶴ゆかりの生國魂
神社を経て、途中夕霧太夫の墓所をたずね、
夕陽ヶ丘までを散策します。
↧
November 16, 2018, 7:02 pm
大阪の聖地・上町台地には約200もの神社仏閣が集積しています。
そんな中に近松文学の失敗作と言われる『心中宵庚申』の
主人公のモデル、八百屋半兵衛と妻お千代の
比翼塚がある銀山寺や、文楽の興行師
竹田出雲の眠る青蓮寺を
訊ねてみました。
大阪メトロ谷町線の夕陽ヶ丘駅から谷町筋を少し北に向かい、
天王寺区民センター前を左に曲がると
すぐ右側に月江寺さんが見えています。
光明山林照院月江寺は、大阪市天王寺区生玉寺町に位置する
浄土宗の寺院で、元禄10年(1697)五代将軍徳川綱吉公の
生母である桂昌院に仕えた、東印比丘尼が
建立したと伝わっています。
寛政8年(1796)刊行の摂津名所図会には、天王寺町にあり。
浄土宗女僧寺。光明山林照寺と号す。・・・・中略・・・・
本尊阿弥陀佛 恵心の作。坐像三尺ばかりと記し、
境内の茶店には土器投げありとも
記されています。
昔は大きなお寺やったんですねぇΣ(゚Д゚)
月江寺山門です。
観光寺でないので一般公開がされていません。
詳しいことを訊ねたかったのですが、仕方なく
山門から境内を一枚
続いて月江寺さんの西隣の青蓮寺を訊ねました。
青蓮寺は、大阪市天王寺区生玉寺町にある高野山真言宗の
寺院で、山号を吉祥山と云います。
青蓮寺には文楽人形の興行師として『竹本座』を
率いた『竹田出雲』の墓所があります。
山門が閉じられていたので訊ねると、ガレージ横の通用口
から入山できるとの事で参拝に伺いました。
青蓮寺は聖徳太子が鴫野の地に創建した法案時が
前身で、後に生國魂神社と習合し生玉十坊と
なりましたが、明治の神仏分離で十坊の
内の二院と合し、青蓮寺と改名し
現在地に移転しました。
本堂の東隣に竹田出雲一族の墓所がありました。
文楽人形の歴史の中で代表的人物だった竹田出雲は、
元禄4年(1691)に座元の子として生まれ、15歳で
竹本座の経営に加わり『仮名手本忠臣蔵』
など40篇近い戯曲を今日に
残しています。
宝暦6年(1756)65歳で冥途への旅立ち ( ;∀;)
竹田出雲のお墓参りを済ませさらに北の銀山寺さんへと
文楽の心中宵庚申・八百屋半兵衛と妻お千代が眠る
銀山寺山門前にやって来ました。
銀山寺は、大阪市天王寺区生玉寺町にある浄土宗の
寺院で、山号を荘厳浄土院寶樹山と云います。
天正19年(1591)に金戒光明寺第二十四世緑誉休岸上人により
創建され、当時は『大福寺』と云いましたが、豊臣秀吉公の
命で『銀山寺』と改名されました。
境内には半兵衛とお千代の比翼塚があるのですが、
先月の台風被害で境内は立ち入り禁止と
なっていました。
半兵衛お千代は近松戯曲の『心中宵庚申』のモデルとなり、
心中戯曲では珍しい内容の夫婦心中話で、紀海音も
『心中二つ腹帯』と題し講演を行っています。
なんで❔
本堂南隣にある比翼塚です。
当時のお千代は身重で5ヶ月の胎児がいたそうで、
『離身童子』として比翼塚で半兵衛お千代と
共に比翼塚で祀られています。
画像は前回に訪れた時のものを使用しています。
山門横の通用口から下山します。
神様仏様の聖地の中にラブホが❔
上町台地は聖地でもあり性地でもあるんですねぇ。
神様仏様に囲まれて
死ぬ死ぬ言いながら
日夜昇天してはります。
↧
November 17, 2018, 11:13 pm
11月も半ばを過ぎるというのに気温が高めの阪神間。
今朝からの小春日和でポカポカ陽気に誘われて、
何時もの公園に秋を求めてやって来ました。
台風の爪痕が残されています
今年の冬は管理事務所、薪ストーブの燃料薪
こんだけあったら不足せいへんやろねぇ
陽気に誘われて児童公園は親子連れで大賑わいです。
何があっても平和が一番ですねぇ
小さな秋を見つけました。
お互いが心の中で
『このまま時を昔に巻き戻せたら❔
違う人生やり直せたら❔』
思ってたりして
こんな時代もあったんですけどねぇ
↧
↧
November 18, 2018, 6:41 am
街路樹からひらひらと枯葉が散り始め
『あ~ぁやっと秋が来たなぁ』と、
感じる季節になりました。
暦の上では早くも立冬を過ぎ小雪が近づきつつあります。
台風の爪痕の残る何時もの公園も、秋の訪れが
感じられるようになりました。
小春日和の穏やかな日差しの中に沢山の落ち葉が・・・
子供の頃近所のお宮さんの掃除で掃き集めた落ち葉を、
境内でとんどをするのですが、いつも宮司さんが
とんどの中に芋を入りてくれていました。
焼き芋を頬張り学校に走っていったのを
思い出します。『懐かしいねぇ』
思い立ったように今日のおやつは
山の守殿に頼んでお芋を買ってきてもらいましたょ
焼き芋専用の小石を引いたお鍋で
じっくりと
今日のおやつはホクホクの
石焼き芋だよ~ん
美味しいねぇ
ただ後がねぇ
何時ものことながら
猿と同じで後からではねぇ
↧
November 19, 2018, 10:13 pm
大阪を南北に伸びる上町台地は、太古の昔は大阪湾に
北方向に突き出した半島でした。
瀬戸内から河内や大和に向かう船団が通過するこ
半島の岬に、難波の大社・生國魂神社が
国土平安の総鎮守社として
創建それました。
銀山寺さんで文楽の「心中宵庚申」モデルとして描かれた、
八百屋半兵衛と妻お千代の参拝を終え銀山寺を下山。
元来た道を北に向かうと生國魂神社に出ますが、
銀山寺さんの角を左(西)に曲がります。
銀山寺さんの角を曲がると天王寺七坂の源聖寺坂に出ます。
が、源聖寺坂は下りません
坂の手前にある齢延寺さんの参拝に伺います。
鐘楼堂を階上に設けた齢延寺山門を潜り入山します。
齢延寺は、大阪市天王寺区生玉町にある曹洞宗の
寺院で、元和9年(1620)に僧儀春によって
志摩国稲垣家の菩提寺として
真田山に開創されました。
徳川幕府の大坂再興で、寛永9年(1632)に真田山より
現在地に移転してきました。
齢延寺さんに参拝に訪れたのは、境内に緒方洪庵、
斎藤方策と並ぶ浪花の三名医の一人、
原老柳が祀られていたからです。
原老柳の墓前で
アン
齢延寺さんに沿って北に向かうと直ぐに
生國魂神社前に出てきます。
寛政8年(1697)刊行の摂津名所図会に記された生國魂神社の
鳥海図には、神仏分離以前の神社全景が記されています。
(注・1)
楼門前参道両側に蓮池があり、本堂奥に
舞台様の絵馬堂が描かれています。
幕末期に描かれた浪花百景石和板『生玉辨天池夜景』
(芳瀧・画)には蓮池に辨天堂が描かれています。
明治以前はこのような風景だったんですねぇ
明治の神仏分離で辨天堂が移転し、戦後蓮池は
埋め立てられ生玉公園に変わってしまいました。
楼門が立っていた所には鳥居が建てられている
現在の表参道からの生國魂神社です。
大鳥居を潜った正面に主祭神・生島大神、足島大神
相殿神・大物主大神が祀られている拝本殿に
二礼二拍手一礼して、
戦前までは本殿の裏(西)側に絵馬堂の舞台がありました。
(注・2)
画像は幕末期に描かれた浪華百景「生玉絵馬堂」(国員・画)です。
絵馬堂の奥(西)には甍が波のように連なり、その先の
茅渟の海には数多くの船が描かれています。
絵馬堂は展望台も兼ねていたようで、境内には
茶店が並び大いに賑わっていたようです。
境内巡拝路に沿って進むと、手前から天満宮、
住吉神社、その奥に皇大神宮があり、
さらに進むと、元は表参道の蓮池に祀られていた「弁天堂」が
精鎖社と改称し、境内社として祀られていますが、
もとは弁天さんなんですょ
あかん、つるぺたの弁天さん思い出してしもた
元は弁天さんの精鎖社の奥には、
三社も並んだ稲荷神社が・・
北西の境内には城方向八幡宮、鞲神社、家造神社、
浄瑠璃神社が並んでいます。
文楽大好きの扇屋、浄瑠璃神社で神妙に
まだ多くの神社が祀られているのですが、
真言坂に面した朱門から退出します。
この後真言坂を下り松屋町筋を南下、
夕霧太夫が眠る浄国寺の参拝に向かうのですが、
一寸だけ
(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵
から借用しました。
↧
November 21, 2018, 11:29 pm
秋に幸せを感じる風景は何といっても『紅葉』、赤色に黄色、茶色と
山々が黄金色に輝いて訪れた者を魅了してくれます。
暇を持て余す何時もの『けったいなお爺お婆軍団』が、
『箕面へ紅葉狩りにでも行きまへんか❔』の
一言で、みのおへ紅葉狩りに
出掛けてきました。
御一行様9名、阪急の箕面駅で待ち合わせ。
観光用の滝道を通らず裏道を通って
西江寺さんは箕面では隠れた紅葉の名所なんですょ
綺麗にもみじ焼けしています
大黒天堂前の石段を登りつめた先に本堂があります。
せっかくの紅葉狩りなんですが、「お寺と」聞けば
何もかもほったらかしで本堂内陣は
❔
の扇屋、目指すは本堂内陣へ。
金網越しですが西江寺本堂内陣です。
中央の厨子もしくは奥の須弥壇に秘仏の歓喜天像が
安置されているようですねぇ。
『覗いてみたいなぁ~ぁ
』
大黒天堂前の境内に戻って来ました。
本当に日本の秋ですねぇ
しかし今年の色づきは昨年と比べると
少し良くないような
気がします。
西江寺さんの参拝を終えて滝道に戻り、
龍安寺さんに向かいます。
滝道を進み音羽山荘前で一枚
龍安寺前の公園にやって来ました。
何時もの時季ならもう真紅かになっているのですが、
今年は未だにこのような状態です
公園前の竜安寺本坊。
本坊の石垣に白壁、朱色の橋。
ここも昨年までは箕面の紅葉スポットだったのですが、
9月の台風で古木の倒れたり枝葉が折れ
無残な姿をなっています。
哀れデスねぇ
滝まで行っても同じようなので
昼食を戴きに駅まで
戻ります。
駅前で若いお嬢さんにキャッチされ、
こちらに案内されました。
Web上だけで繋がったけったいなお爺お婆軍団、
皆さんが見知らずの方ばかりなんですょ。
そんなお爺お婆軍団が毎月Eメールで
連絡を取り合って、適当に
暇つぶし。
本当に不思議なお友達なんです。
↧
November 22, 2018, 11:47 pm
類なき御傾城・夕霧大夫が眠る上町台地、井原西鶴の
『好色一代男』で『神代このかた、また類なき御傾城
の鏡』とまで絶賛された、夕霧大夫を偲ぼうと
延宝6年(1678)に京・島原の『扇屋』夕霧太夫は、扇屋が
大坂に移転しため新町の太夫になりましたが、
若くして病没すると大坂中がその死を
悼んだと伝えられています。
生國魂神社境内社の浄瑠璃神社の参拝を終え、
北門より真言坂を下って退出します。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会に記された
天王寺七坂の一つ『真言坂』の鳥瞰図です。
(注・1)
坂の石段を登り切った所に神宮寺の生玉十坊や、
石段下には茶店が商店が描かれています。
幕末期に描かれた浪速百景『真言坂』国員・画です。
(注・2)
生玉十坊の内、坂の付近にあった六坊が真言宗
だったことから『真言坂』と名付けられたそうです。
お茶屋や商店がマンションになってしまった真言坂。
真言坂を下り松屋町筋の下寺町交差点に出てきました。
こちらから松屋町筋を南に下っていきます。
生玉周辺のマンションには男はんが大好きな
○○系のお嬢さんが
沢山住んではるんですょ
下寺町交差点から少し南に下ると大蓮寺さんがあります。
大蓮寺は、大阪市天王寺区下寺町にある浄土宗の寺院で、
正式名称は如意珠應山極楽院大蓮寺と云います。
天文19年(1550)室町幕府・足利義晴将軍の三男・
晴誉上人によって創建されました。
江戸時代には寺子屋が開かれ関係で、明治以降に高津小
学校や天王寺高校の発祥の地にもなったお寺です。
そんな教育系のお寺に不思議なことに
『吉本興業』の芸人塚があります。
何ででんねん
そんなん知りまへんがな
大蓮寺さんの南隣には応典院さんが( ^ω^)・・・。
応典院は、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が担っていた
地域文化交流活動に特化し、円形型ホールやセミナー
ルームなどを備えたお寺なのです。
応典院さんの南隣には新町の夕霧太夫が
眠る浄国寺さんがあります。
浄国寺は、大阪市天王寺区下寺町にある浄土宗の
寺院で、山号を無衰山といい、永禄3年(1560)に
寂連社円誉上人が創建しました。
毎年4月の第1周の日曜日に『花祭り夕霧太夫行列』と
呼ばれるお祭りが催されています。
(注・3)
山門を潜った正面に、江戸時代初期の作と言われる本尊の、
説法印姿の阿弥陀如来立像が安置された本堂が・・
本堂の北隣には、井原西鶴が好色一代男で『神代このかた、
また類なき御傾城の鏡』と表現した夕霧太夫の墓碑が
夕霧太夫の墓碑には上島鬼貫が詠んだ『此塚に柳なくとも
あわれ也』と詠んだ句が刻まれています。
この墓碑に
毎年4月の花祭り行事には檀家の方が、夕霧太夫に
扮しお墓参りをしています。(注・3)
後になりましたが浄国寺には山門のすぐ横に
『まんなおし地蔵尊』が安置されています。
「まんなおし」とは『まんが悪い』とか『運が良く悪い』のを、
『なおす』願いを叶えてくれる地蔵なのだそうですょ。
運の無い人にはお助け仏なんだそうです
一礼して『 アン 』
勤労感謝の日でお休みだった方
お勤めだった方
皆さん
お疲れ様でした。
(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵
(注・3) 浄国寺ホームページ蔵
から借用しました。
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November 24, 2018, 5:17 am
暦の上では立冬から小雪に移り変わった10月22日に、
関西地方に『木枯らし1号』が吹きました。
黄金色に染まった銀杏木々から葉っぱを舞い立たせ、
とうとう冬支度を始める時期に( ^ω^)・・・なり、
『朝と昼の気温差が大きいので、体調管理はシッカリ 注意しましょう』なんて、言葉を天気予報などで
よく耳にするようになりました。
若い人や健康な身体の持ち主であれば、皮膚が外気温を
感知し、脳に指令を送って体温調整がなされますが、
高齢者や身体虚弱者にとって気温の低下は
生体機能にかなりの負担となります。
また、
症状の悪化の引き金になってしまいます。
人は生活環境の温度変化によって暑いときには発汗し、
寒いときには体内の熱源を燃やして体温を
上げようとします。
しかし、自力で体温調節ができるのは外気温が約25℃~
26℃といわれ、衣服と人体の皮膚の間のごく狭い
空間の温度は約32℃で、湿度約50%が
適切な気候とされています。
身体機能の低下や疾病を持つ者にとって、気温の低下は
生体機能にかなりの負担となり、症状の悪化を
招く原因となってしまいます。
昨年11月21日の何時もの公園の秋色です。
台風による風害と塩害でダメージを受けた
現在の何時もの公園の秋色です。
寒さが肌に厳しく感じた今日、肩をすくめての
お散歩姿の方を多く見かけましたが、
衣服内気候をシッカリと整えんと
『ぽっくりと行きまっせ』
本格的な寒さに向かう時期となりました。
衣服内気候に注意して
快適にお過ごしください。
↧
November 25, 2018, 2:56 am
大阪市の中心部を南北に走る上町台地。その西側で
谷町筋と松屋町筋の間に天王寺七坂があります。
坂の下り口にある愛染堂から名付けられた愛染坂が
在ります。その愛染坂と尋ねると直ぐに答えが
帰って来ますが、『愛染坂の浮瀬亭』と
聞くと皆さん❔❔❔なのです。
夕霧太夫の墓前で『この塚は 柳なくとも 哀れなり』と詠んだ
上島鬼貫の墓所から赤穂浪士の墓所、竹田出雲の墓所、
八百屋半兵衛と妻お千代の墓所を訊ね生國魂神社を
経由して夕霧太夫が眠る浄国寺の参拝に訪れた後、
さらに松屋町筋を南に下り文楽座の祖と云われる
植村文楽軒の眠る円成院さんの参拝に
源聖寺坂を上りきった所には八百屋半兵衛と
妻お千代が眠る銀山寺さんがありました。
坂の下から眺めると道の起伏が『くちなわ(蛇)』に似ている
ことから名付けられた口縄坂をスルーして南へ
やって来ました植村文楽軒の墓所、円成院さん。
円成院は、大阪市天王寺区下寺町にある時宗の寺院で、
鎌倉時代後期に一遍上人が四天王寺を参詣した時に
構えた庵の跡地に、延享元年(1744)遊行第五十一代
他阿賦存が寺を建立したと伝わっています。
植村文楽軒は、淡路国の出身で寛政年間に大坂高津橋に
人形浄瑠璃の稽古場を開き、文化2年(1805)高津新地に
文楽座の元となる人形浄瑠璃の小屋を開設しました。
(注・1)
境内北側の墓所に文楽翁の碑があり、
その横に初代植村文楽軒の墓標があります。
文楽に尽力有難うございますした
円成院さんの参拝を終えた後、松屋町筋に戻り
最初の角を左(東)に曲がります。
松屋町筋を左折して進むと正面に大江神社があります。
この急な石段を登るのは心臓に負担をかけるので、
南側の愛染坂を上っていきます。
大江神社境内の南側にある愛染坂です。
この愛染坂の右側に浮瀬亭という料亭が
江戸時代にありました。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会に
記された愛染坂の鳥瞰図です。
(注・2)
右のページの下側に描かれているのが浮瀬亭です。
摂津名所図会に描かれた浮瀬亭の鳥瞰図です。
(注・2)
浮瀬亭は、大阪市天王寺区伶人町にかつて在った大坂
随一の料亭で、江戸時代には海岸線も近く視界を
遮る建物も無かったので、淡路島まで見渡せる
眺望の良さと『浮瀬』と呼ばれる「奇杯」を
所蔵していたことで、多くの文人墨人が
贔屓にしていたようです。
幕末期に描かれた浪華百景石和板
『増井浮瀬夜の雪』芳瀧・画です。
(注・3)
エッチラオッチラと愛染坂を上りきって後を振り返ると
坂を挟んで左に大阪星光学園、右に
大江神社があります。
谷町筋に面した大阪星光学園の前に戻って来ました。
浮瀬亭は明治20年(1887)頃に売りに出され、個人の
別荘となったのですが、変遷を得て現在は
大阪星光学園になっています。
浮瀬亭の建物は無くなってしまっていますが、寛政12年
(1800)に大坂の俳人・茅渟奇淵が建立した
芭蕉の句碑が残されています。
拝観は学園側に事前申し込みが可能との事でした。
少し寄り道をしましたが後戻りをして
大江神社、愛染堂勝鬘院に向かいます。
(注・1) 文楽年表蔵
(注・2) 早稲田大学図書館蔵
(注・3) 大阪府立中之島図書館蔵
から借用しました。
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November 26, 2018, 8:38 am
大阪メトロ谷町線の四天王寺夕陽ヶ丘駅から地上に出て、
直ぐに『愛染さん』の看板が目に留まります。
大阪で最も優秀な高校『星光学園』の校舎北側の道を
入ると、突き当りに天王寺七宮の一つ『大江神社』、
その手前に赤門の『愛染堂勝鬘院』があります。
大阪メトロの四天王寺夕陽ヶ丘駅をから
地上に出ると必ず目にする看板
『愛染さん』
大阪星光学園の北側の道をドン突きまで行くと
愛染坂の下り口と並んで大江神社の鳥居があります。
大阪市天王寺区夕陽ヶ丘にある大江神社は、四天王寺
七宮の一社で聖徳太子によって創建されました。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、
大江神社、愛染坂、愛染堂勝鬘院の
鳥瞰図が描かれています。
(注・1)
薩長連合太政官政府の神仏分離で神宮寺が廃しされ、
慶応3年(1867)大江神社と改名されました。
鳥居を潜って境内に入ると正面に朽ちかけた絵馬堂が❔
大江神社の絵馬堂から眺める夕日は絶景で
夕陽ヶ丘の地名にもなりました。
境内を入って右側に豊受大神、素戔嗚尊、大己貴命、
少彦名命、欽明天皇が祭られた本殿があります。
本殿の左隣には神宮寺時代に毘沙門天を祀っつた
『毘沙門堂』がありました。
毘沙門堂は廃されましたが、何故か『狛虎』だけが残されいます。
阿行の狛虎が行方不明になっていたのですが、阪神ファンが
集まり阿行の狛虎を新調し奉納した所、その年の
リーグ戦で優勝し以後この地は阪神ファンの
聖地となってしまいました。
大江神社の東隣にある愛染堂勝鬘院は、推古天皇元年
(593)に聖徳太子が四天王寺建立の際に、敬田院、
施薬院、療病院、悲田院という施設を
併設し、その内の施薬院が
現在の愛染堂なのです。
正面に金堂(愛染堂)があります。
施薬院の金堂で鬘院経という経が説かれ、その経に登場する
『勝鬘夫人』の仏像を安置していたため、施薬院は
勝鬘院と呼ばれるようになりました。
金堂(愛染堂)内陣須弥壇に本尊の愛染明王が
安置されています。
『愛欲が生きる喜びや活力となって人間の可能性を高め、
さらに愛欲を貪る煩悩を悟りへと導いてくれる』
のだそうですょ
金堂(愛染堂)の裏には慶長2年(1597)に豊臣秀吉公により
再建された多宝塔があります。(重文)
勝鬘院は昭和20年の大阪大空襲から被災を逃れた
唯一の伽藍なんですねぇ
幕末期に描かれた浪花百景石和板『勝曼院愛染堂』
芳雪・画です。(注・2)
摂津名所図会大成によれば『就中傾城遊女俳優をはじめ
衆人の愛をうけんと欲するもの 歩を運びて愛敬を
祈るがゆへに 往来花麗にして賑わいし』
と記しています。
境内には霊木の『愛染かつら』が・・・( ^ω^)・・・
桂の巨木にノウゼンカズラのツルが巻き付いて
一体となった『愛染かつら』
この霊木の前で愛を語り合った男女は、
どんな困難があっても必ず結ばれる、
と言われています。けどねぇ❔
愛染堂勝鬘院の参拝を終え、大阪メトロ四天王寺
夕陽ヶ丘駅に戻って来ました。
こちらから地下鉄に乗って帰宅します。
長々と上町台地のお散歩お付き合い
有難うございました。
(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵
から借用しました。
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