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Channel: 浪花のおじさんぽ (^^♪
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秋色に染まり始めました (^^♪

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先月末から朝夕めっきりと冷え込み始めた阪神間、
扇屋地方の街路樹も少しずつ秋色に
染まり始めました


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今年の夏は例年以上に暑い日や日照時間も長く
続いたようで、鮮やかな銀杏紅葉が観れると
期待をしていたのですが❔


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枝葉をよく見ると、色づきながら枯れ始めています。

9月に続いた台風の影響で枝葉の多くに傷みが目立ち、
塩害なのか色づく前に枯れて落葉しています。



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北海道から始まった紅葉前線は東北を経由して、
毎年関西を11月下旬頃に通過予定。



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神戸の気象台は『鮮やかな紅葉が今年も期待できる』と、

発表していますが、


あの街路樹を見たら、



絶対に信用でけへんわ 






尼崎城まもなく完成

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尼崎城は大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に
築かれた城で、大実穀膳所藩主の戸田氏鉄が
元和3年(1617)に築城しましたが、

明治6年(1873)薩長連合太政官政府による廃城令により、
建屋から石垣に至るまで取り壊されてしまいました。

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駅前広場を朝鮮総連に完全に占拠された
阪神尼崎駅にやって来ました。

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城址公園に行く前に駅前公園で行われている
菊花展にちょいと立ち寄りました。

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黄色の厚物系はええねぇほんと
惚れ惚れするわ

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紅色の細い管物系も何とも言えません

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赤色系の厚物です。

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近年は品種改良なのかダリヤに近い
菊が増えましたねぇ


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阪神電鉄尼崎駅から南東に歩いて5分の庄下川沿いで、
行われていた尼崎城の再建工事が間もなく完了予定。

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『尼崎城を再建し、市に寄付したい』と、

平成27年(2015)市内の家電量販店創業者の申し出を受け、
尼崎城再建計画が動き出し、一口城主等の市民参加も
あり、今月中に完工し来春公開が予定されています。


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1階は展示場、2階からはシアタールームなどのギャラリー
となり、5階は展望室になるのですが地上24mの
微妙な高さのため、ARを利用した展望室に
なる予定だそうです。

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お昼を少し回ったので阪神電車に乗って三宮に向かいます。



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その昔、甲子園球場で阪神巨人戦が行われたとき、
ファン同士のヤジ合戦で巨人ファンから

『阪神電車ぼろ電車、一寸行ってはすぐ止まる』

なんて言われていたのを懐かしく思い出し


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やって来ました阪神三宮。



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中途半端ですが今日はこの辺で






独り回転寿司は ( ;∀;) なん❔

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飲食店を一人で利用する『ひとり飯』は、世間で認められつつ
あるようですが、まだまだ気恥ずかしさなどの垣根が
高いとの意見が多いようです

その代表の一つに回転寿司が挙げられています。

消費者実態調査によれば、回転寿司に一人で行った事の
ある人は、37.9%で、女性より男性、若年層より
中年層の方が多い結果が報告しています。

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尼崎城址を後にした扇屋、小腹が空いたので
阪神電車に乗り三宮に出てきました。

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穴熊擬きのように三宮地下センターを通って地上に

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交通センタービルを通り抜けJR三ノ宮駅西口にやって来ました。

目指すのは駅下の

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回転寿司の海鮮三崎港


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いざ店内に


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時分時を過ぎていたおかげで『すいてるやんか

一人回転寿司は営業職の人たちは比較的多くの方が、
利用しているようなんですけど、扇屋
人様の目線より食い気が先

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人目なんか『なぁ~にも気にしてません』


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腹の虫抑えをしたのち、明石城址公園で
行われている菊花展を観に行こうと
JR三ノ宮駅に駆け上がると

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姫路行の新快速が止まってるやん

ラッキー

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午後1時20分ごろ野洲発姫路行の新快速電車に、
姫路の女性がはねられる事故が起こりました。

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運転士が下りホームから線路内に立ち入る女性に気づき、
非常ブレーキをかけたが間に合わず
事故になったようです

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事故の結果ダイヤは30本以上が運休し、30本が最大1時間の
遅れが発生し、約1万7千人に影響が出たと云います。

扇屋もそのうちの一人なんですょ

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急遽阪神の三宮に戻り山陽電車で明石にやって来ました。

山陽の明石駅とJRの明石駅は隣通しで並んでいるのです。

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しかも駅のコンコースも共用でお互い仲良く❔

共存した振りをしていますが

大人なんですねぇ~


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うわべだけ


仲良うした振りしてんねんやろ







うぅ~ん ええ香り (^^♪

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五畿七道の一つである山陽道(中国街道)が通り、北には
丹波国、但馬国への追分が、また淡路国から四国へと
古来より交通の要所であった明石に、徳川政府が
西国の外様大名の抑えとして明石城を
国策として築きました。

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『小笠原右近(忠政)殿へ、いつぞや御約束申し候中津の
殿主儀(天守閣)、右近殿次第に渡さるべく候』・・

なんて

明石藩主の小笠原忠政の築城準備が整い次第、
約束していた中津城の天守閣を渡すように
記した手紙があります。。が・・・❔

経緯はどうであれ約束が果たされたのかどうか❔

明石城に天守閣が建てられた形跡がありません

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未だ天守閣の無い明石城三の丸広場で
今年も菊花展が開かれています、

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明石市の菊花展は、大正12年(1923)兵庫県立農業試験場で
栽培されていた菊の一般公開に始まったそうで
今年で90回目を迎えるそうなんです。

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いつも思うのですが『これダリヤと違ぃまんのか❔』

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やっぱり菊は厚物の三本立てがええねぇ

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いぃや、細管物の三本立てが一番ええのんとちゃう❔

(扇屋の勝手な主観です)

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うちの母が好きだった小懸崖です。

子供の頃連れられて行った、ひらかたパークの
菊人形が脳裏に浮かびます。

菊の香と何か腹をくすぐる香りが漂っています。

何の匂い❔

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なんかいな❔

菊花展の隣の広場では肉フェスタと銘打って、明石のお
肉屋さんが集まってステージイベントや
ワークショップが開かれています。

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お肉とお酒、音楽とダンスなんやて~

扇屋には縁ないわ

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重たい足を引きずりながらJR明石駅まで帰って来ました。

尼崎城址から三宮を経由して明石城址、
たった三か所立ち寄っただけやで
もう4時前やんか

今日は姫路行くの諦めよ


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何時も扇屋の心臓リハビリに

お付き合い感謝します。





暇なお爺お婆御一行様のお通り

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毎度何時もの公園で、暇を持て余したお爺お婆軍団、
『扇屋はん、あのブログ宜しおまんなぁ~、今度
儂らも連れてってくれまへんか❔』と曰く。

『えぇ~いつも独り行動の勝手気に遊んでんのに、
めんどくさいこと言わんとってぇやぁ』と、
心の中で独り言を言いながら、

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昨日とうとうその日がやって来ました。

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6人のお爺お婆軍団『腹が減っては戦が出来ぬ』と
フェスティバルタワーの2階へ

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中華レストランで腹ごしらえをして

『ほな行きまひょか❔』

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フェスティバルタワーを出て四ツ橋筋を南に向かって

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肥後橋を渡って土佐堀沿いに東の方へ

ここ以前にNHKの朝ドラの舞台になった

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『両替屋の加嶋屋があったとこですわ』
なんて説明しながら

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今は埋め立てられ高速道路が通ってる旧西横堀川沿いに
ある、住友銀行の本店前を通ってを撮りながら、

『明治の初め頃、ここに手形交換所がおましてん

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住友銀行本店の東の入り口横に、「明治12年(1879)に
一定の地域内に所在する金融機関が申し合わせに
よって、手形や小切手などを持ち寄って決済する
日本最初の手形交換所が設立されました。」
と、説明する石碑が建てられています。

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住友銀行本店南東角で筋向いのビル前に

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こんな説明板が生垣の中に、

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帝国座と言って明治43年(1910)、当時新派の俳優だった
川上音二郎が、実業家の支援を受けて大阪で
はじめて西洋式の劇場を開場しました。

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帝国座跡からさらに南に下り高麗橋通にやって来ました。

角のビルは大阪倶楽部と言って、大正元年(1912)に大阪の
財界人らによって創立された、会員制の社交倶楽部で
綿業会館、大阪ガスビルとともに大阪三大名建築の
一つと言われています。

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大阪倶楽部の東隣にある和菓子の鶴屋八幡、

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江戸時代の元禄15年(1702)創業で摂津名所図会に
記されている『虎屋』が前身なんですけどねぇ。

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なんてポイントを説明しながら御堂筋迄やって来ました。
今日は淀屋橋から地下鉄で帰ります。



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なんちゅこっちゃ~


何で観光案内みたいなことせなあかんねん(# ゚Д゚)






何ちゅうこっちゃ ( ;∀;)

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天気予報によれば『寒冷前線が日本の上を通過する
影響で、大気の状態が不安定となり、落雷や
竜巻、激しい雨に注意が必要』と
朝から呼びかけていました。

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『競馬の予想と天気予報』

両社は当たらないものの代表なのですが、今朝の阪神間
扇屋の出鼻をくじくような土砂降りの雨が降りました。

『天気予報珍しく当たっとるやないか

『珍しゅ当たるさかい、雨降んねん』と、

呟きながら空を見上げていると、
降り続いていた雨がぴたりと上がり、

『ええ天気になってきたがな

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朝からの雨のため何時ものお宮さんへ

お宮さんのカエデまもなく赤く染まりそうな
雰囲気になって来ました。

明日久し振りに上町辺り行ってみよかなぁ



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神様仏様お願いします。


明日は晴れてくれぇ~パンパン



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亥の子の祝い (^^♪

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今時『亥の子』と聞いても、『何のことですか』と全く
意識されなくなってしまった秋の収穫祭。

亥の子とは十二支の亥の月(旧暦10月)の亥の日、
亥の刻(午後9時~11時)に田の神様を
お祭りする収穫祭のことで、

古代中国の無病息災を願う『宮廷儀式・亥子祝』に
由来すると云われています。

大豆、小豆、ささげ、ごま、粟、柿、糖の7種の粉を
混ぜて作った餅を田の神様に供え、家族で
『亥の子餅』を食べて無病息災と
子孫繁栄を祈ったそうです。


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今の時季、和菓子屋さんの前を通りかかると『亥の子餅』が
並べられているのをよく目にします。


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お父さ~ん、お茶入りましたょ

今日のお茶うけは『亥の子餅』

今日は亥の日かいなぁ~

そんなん気にしたらあかん



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旧暦10月の亥の日は、15日・27日なんですょ。

お間違えの無いように






11月11日は何の日 (^^♪

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11月11日は記念日が31個もあるってご存知でしたか❔

『文化の日』や『勤労感謝の日』といった祝日から、年中行事に
一般企業や業界団体が定めた『○○記念日』をまとめた
サイトの『日本記念日協会』によれば、なんと
31もの記念日があるのですねぇ。

数字の『1』をイメージして定められたものが多く、神戸・南京町の
豚まん専門店が、『11』を豚の鼻の穴に見立て
『豚まんの日』なんて定めました。

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11月8日(木)に前夜祭が始って今日11日(日)まで4日間
神戸・南京町でKOBE豚曼サミットが開かれました。

中華料理店を中心にホテルや大学、調理専門学校まで
全16店舗がオリジナルの豚まんを
披露していたそうです。

が、

数字の『11』、扇屋が見ると太鼓の撥にしか
見えないんですけどねぇ❔

そこで扇屋は11月11日を『太鼓の撥の日』

と、勝手に決めてしまいました

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一昨日ブログ旅で見つけました。

〘尼崎ジャズ・ブルースフェスティバル2018〙

今日訊ねてみましたょ

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菊花展に続いてまたまた阪神尼崎駅前です。

今日は正面のエスカレーターに乗ってテラスの
会場に向かっています 

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会場にやって来ました。

一寸寂しい雰囲気ですねぇ、客がまばら

本当にパラパラ❔

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演者は一生懸命演じているのにねぇ❔

ジャズを趣味にしてる人は少ないんやろなぁ
扇屋もそのうちの一人ですけどね。

駅前の中央公園で同じ時刻にうどん県の
『かんおんじフェアin関西』が開かれていました。
会場では特産品の販売や観光PRが行われていて、
同時にイベントとして『大野原龗王太鼓』が演奏していました。

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『大野原りゅう王太鼓』迫力の和太鼓公演。

お腹に響きますねぇ

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一寸行儀悪いのですけど『豚まんの日』なので
豚まんを戴きながら太鼓公演の観賞です。

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何やらセンターに白装束で怪しげな演者が
大太鼓を演奏し始めましたょ

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白装束に般若の面を着け撥を操っています。

迫力に観客の皆さん圧倒されています。

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演奏も佳境に入ると最後のパホーマンスです。
太鼓に馬乗りになって演じています。

拍手喝采


こんなパホーマンスされたら

ジャズは勝てんなぁ~


なぁ、『11』に見えるやろ



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今日は何の日


太鼓の撥の日


でした。






凄いことなんだねぇ (^^♪

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今年の9月23日に打ち上げられた無人宇宙補給機の『こうのとり7号』が、
11月8日に国際宇宙ステーション(ISS)から無事に分離され、
11日午前6時24分に実験試料を持ち帰る
『小型回収カプセル』を、こうのとり
7号から放出した。

こうのとり7号は大気圏突入で燃え尽きる一方、回収カプセルは
パラシュートを開き南鳥島近海に着水しました。

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これまでISSからの物資回収技術はアメリカやロシアしか
持っておらず、JAXAは今回の実験を機に独自の
回収技術を獲得したことで、将来的には
有人輸送への応用を視野に
入れているそうです。

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小型回収カプセルは地球帰還時に最大40Gもの重力が係るため、
時速200kmでコンクリートにぶつけても壊れない強度があり、
中身を取り出すまでの時間を考慮し、容器内を4日以上
4度前後に保つ『究極の魔法瓶』だそうです。


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回収されたカプセルは南鳥島から

飛行機に乗って筑波に帰って来るそうなんですねぇ



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弾道型でなく揚力型での落下実験


未経験ながら


成功させた技術力に拍手喝采




画像はWeb上から借用しました。






プチ・パニック事件 ( ;∀;)

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こんな経験したことありませんか❔

先日、写友のMさんに車で送り迎えをしてもらったのですが、
家の前で「お疲れ様でした」とお礼を言いながら車から
降り、玄関前で『あれ~ぇ、鍵有れへん』❔

自宅のベルを鳴らしても反応も無し

アッチ~ャ、山の守殿お出かけや

しょうがない山の守殿に電話しよと思い、
バックの中を弄るもなぜか
『携帯迄行方不明』

何で❔

あ~Mさんの車のなかゃ~と、
直ぐに気付いたのですがmさんの姿は・・・どこにも

『そやMさんに電話すればええねん』と気付いたのですが、
手元に携帯がないので連絡も出来ない

そや、公衆電話があるやん

そやけど公衆電話は何処に有るのん❔

あっちこっち探しまくっても見当たらず、通りすがりの
人に携帯貸してというわけにはいかず

昔は電話ボックスや赤電話なんぼでもあったんですが、
どこを探しての全く見当たりません。

諦めて帰りかけた時に公衆電話を発見

公衆電話を見て心がときめいたのは初めての経験
最近は若いお姉ちゃん見ても心ときめかんのに

電話電話と、ふと我に返って『電話番号』分れへん



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携帯やスマホが出てくるまでは
こんなことなかったんですけどねぇ


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携帯電話の大切さというか、スマホの存在というか、
昔はこんなこと経験することはなかったのに。


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Mさんが車内の点検で気が付き、

直ぐに届けてくれ、


事なきを得ました





上町台地けったいなとこでっせ❔

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大阪平野を南北に伸びる丘陵地帯の上町台地、大坂の陣の後
大阪城下の復興にあたった徳川幕府の政策で、市中に
点在していた寺院が上町台地に集められ、今日に
至るまで歴史ある宗教地帯となりました。

上町台地は豊かな歴史遺産や古典文化が数多く存在し、
いくつものドラマや物語が秘められた街なのです。

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またまた大阪メトロ谷町線の夕陽ヶ丘駅にやって来ました。

こちらから南(左)に行けば天王寺さんの西門前なんですが、

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今日は安土城の天守閣を捩った天鷺寺の前を通って
北に向かってお散歩です。

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夕陽ヶ丘駅から北にふた筋の六万体交差点を右に曲がります。

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六万体交差点を曲がると北側に鳳林寺さんがあります。

鳳林寺には俳人の上島鬼貫の墓があり、
一願不動尊で有名なお寺なのです。

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一番大切な願いを叶えてくれると云われる一願不動尊、
大阪市内で一番大きな石造りのお不動さんなんです。

ノウマク・サンマンダバサラダン・センダメマカロシャダ
ソワタラ・ウンタラ・カンマン

    

ウッシッシ

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山門のくぐり戸を潜って入山します。

最乗山鳳林寺は曹洞宗の寺院で、天正6年(1588)に
才庵存芸和尚によって創建されました。

観光寺でないので本堂は閉じられています。

本堂左隣に上島鬼貫が祀られた墓地があります。

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江戸時代中頃の俳諧師上島鬼貫は『東の芭蕉西の鬼貫』と
称される程の俳人でしたが、門人を持たず孤高の
まま元文3年(1738)に亡くなりました。

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本堂の横にひっそりと墓標が・・・

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鬼貫さんのお墓参りを済ませ谷町筋に戻り、
北に向かっています。

正面右に何やら築地塀に新選組の裾模様のような❔

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新選組ではなく忠臣蔵でお馴染みの赤穂義士
菩提寺の吉祥寺さんでした。

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一礼して山門を潜り入山します。

吉祥寺は、大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院で、
赤穂藩浅野家の祈願寺だったのです。

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境内の南側に赤穂義士四十七士の石像が・・・

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四十七士の石像を見守るように境内の片隅には、
中央に浅野長矩、脇侍に大石親子、それらを
囲むように浪士の墓が建てられています。

 あん 

赤穂義士に面会をしたのち吉祥寺さんを下山

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谷町筋を西に渡って、天王寺センター横を西に向かいます。


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今回のおじさんぽ、新町の夕霧太夫を惜しんだ俳人の
上島鬼貫の墓を訊ね、井原西鶴ゆかりの生國魂
神社を経て、途中夕霧太夫の墓所をたずね、
夕陽ヶ丘までを散策します。


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大阪の聖地上町台地はΣ(゚Д゚)

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大阪の聖地・上町台地には約200もの神社仏閣が集積しています。

そんな中に近松文学の失敗作と言われる『心中宵庚申』の
主人公のモデル、八百屋半兵衛と妻お千代の
比翼塚がある銀山寺や、文楽の興行師
竹田出雲の眠る青蓮寺を
訊ねてみました。

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大阪メトロ谷町線の夕陽ヶ丘駅から谷町筋を少し北に向かい、
天王寺区民センター前を左に曲がると

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すぐ右側に月江寺さんが見えています。

光明山林照院月江寺は、大阪市天王寺区生玉寺町に位置する
浄土宗の寺院で、元禄10年(1697)五代将軍徳川綱吉公の
生母である桂昌院に仕えた、東印比丘尼が
建立したと伝わっています。

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寛政8年(1796)刊行の摂津名所図会には、天王寺町にあり。
浄土宗女僧寺。光明山林照寺と号す。・・・・中略・・・・
本尊阿弥陀佛 恵心の作。坐像三尺ばかりと記し、
境内の茶店には土器投げありとも
記されています。

昔は大きなお寺やったんですねぇΣ(゚Д゚)

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月江寺山門です。

観光寺でないので一般公開がされていません。

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詳しいことを訊ねたかったのですが、仕方なく
山門から境内を一枚

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続いて月江寺さんの西隣の青蓮寺を訊ねました。

青蓮寺は、大阪市天王寺区生玉寺町にある高野山真言宗の
寺院で、山号を吉祥山と云います。

青蓮寺には文楽人形の興行師として『竹本座』を
率いた『竹田出雲』の墓所があります。

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山門が閉じられていたので訊ねると、ガレージ横の通用口
から入山できるとの事で参拝に伺いました。

青蓮寺は聖徳太子が鴫野の地に創建した法案時が
前身で、後に生國魂神社と習合し生玉十坊と
なりましたが、明治の神仏分離で十坊の
内の二院と合し、青蓮寺と改名し
現在地に移転しました。

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本堂前の魔尼車を回して奥の墓所へ

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本堂の東隣に竹田出雲一族の墓所がありました。

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文楽人形の歴史の中で代表的人物だった竹田出雲は、
元禄4年(1691)に座元の子として生まれ、15歳で
竹本座の経営に加わり『仮名手本忠臣蔵』
など40篇近い戯曲を今日に
残しています。

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宝暦6年(1756)65歳で冥途への旅立ち ( ;∀;)

あん 文楽ファンの扇屋  あん

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竹田出雲のお墓参りを済ませさらに北の銀山寺さんへと
足を進めます。

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文楽の心中宵庚申・八百屋半兵衛と妻お千代が眠る
銀山寺山門前にやって来ました。

銀山寺は、大阪市天王寺区生玉寺町にある浄土宗の
寺院で、山号を荘厳浄土院寶樹山と云います。

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天正19年(1591)に金戒光明寺第二十四世緑誉休岸上人により
創建され、当時は『大福寺』と云いましたが、豊臣秀吉公の
命で『銀山寺』と改名されました。

境内には半兵衛とお千代の比翼塚があるのですが、
先月の台風被害で境内は立ち入り禁止と
なっていました。

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半兵衛お千代は近松戯曲の『心中宵庚申』のモデルとなり、
心中戯曲では珍しい内容の夫婦心中話で、紀海音も
『心中二つ腹帯』と題し講演を行っています。

なんで❔

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本堂南隣にある比翼塚です。

当時のお千代は身重で5ヶ月の胎児がいたそうで、
『離身童子』として比翼塚で半兵衛お千代と
共に比翼塚で祀られています。

画像は前回に訪れた時のものを使用しています。

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山門横の通用口から下山します。

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銀山寺さんの山門前には沢山のラブホが


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神様仏様の聖地の中にラブホが❔

上町台地は聖地でもあり性地でもあるんですねぇ。


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神様仏様に囲まれて


死ぬ死ぬ言いながら


日夜昇天してはります。







心も小春日和❔

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11月も半ばを過ぎるというのに気温が高めの阪神間。
今朝からの小春日和でポカポカ陽気に誘われて、
何時もの公園に秋を求めてやって来ました。


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台風の爪痕が残されています

今年の冬は管理事務所、薪ストーブの燃料薪
こんだけあったら不足せいへんやろねぇ


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陽気に誘われて児童公園は親子連れで大賑わいです。

何があっても平和が一番ですねぇ

小さな秋を見つけました。


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お互いが心の中で

『このまま時を昔に巻き戻せたら❔ 
違う人生やり直せたら❔』

思ってたりして


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こんな時代もあったんですけどねぇ



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焼き芋の季節になりましたょ (^^♪

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街路樹からひらひらと枯葉が散り始め
『あ~ぁやっと秋が来たなぁ』と、
感じる季節になりました。

暦の上では早くも立冬を過ぎ小雪が近づきつつあります。


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台風の爪痕の残る何時もの公園も、秋の訪れが
感じられるようになりました。


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小春日和の穏やかな日差しの中に沢山の落ち葉が・・・

子供の頃近所のお宮さんの掃除で掃き集めた落ち葉を、
境内でとんどをするのですが、いつも宮司さんが
とんどの中に芋を入りてくれていました。


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焼き芋を頬張り学校に走っていったのを
思い出します。『懐かしいねぇ』


思い立ったように今日のおやつは


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山の守殿に頼んでお芋を買ってきてもらいましたょ

焼き芋専用の小石を引いたお鍋で

じっくりと


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今日のおやつはホクホクの

石焼き芋だよ~ん

美味しいねぇ

ただ後がねぇ



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何時ものことながら



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猿と同じで後からではねぇ 





神様のテーマパークですか❔

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大阪を南北に伸びる上町台地は、太古の昔は大阪湾に
北方向に突き出した半島でした。

瀬戸内から河内や大和に向かう船団が通過するこ
半島の岬に、難波の大社・生國魂神社が
国土平安の総鎮守社として
創建それました。

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銀山寺さんで文楽の「心中宵庚申」モデルとして描かれた、
八百屋半兵衛と妻お千代の参拝を終え銀山寺を下山。
元来た道を北に向かうと生國魂神社に出ますが、
銀山寺さんの角を左(西)に曲がります。


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銀山寺さんの角を曲がると天王寺七坂の源聖寺坂に出ます。

が、源聖寺坂は下りません

坂の手前にある齢延寺さんの参拝に伺います。

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鐘楼堂を階上に設けた齢延寺山門を潜り入山します。

齢延寺は、大阪市天王寺区生玉町にある曹洞宗の
寺院で、元和9年(1620)に僧儀春によって
志摩国稲垣家の菩提寺として
真田山に開創されました。

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徳川幕府の大坂再興で、寛永9年(1632)に真田山より
現在地に移転してきました。

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齢延寺さんに参拝に訪れたのは、境内に緒方洪庵、
斎藤方策と並ぶ浪花の三名医の一人、
原老柳が祀られていたからです。

原老柳の墓前で アン

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齢延寺さんに沿って北に向かうと直ぐに
生國魂神社前に出てきます。

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寛政8年(1697)刊行の摂津名所図会に記された生國魂神社の
鳥海図には、神仏分離以前の神社全景が記されています。
(注・1)

楼門前参道両側に蓮池があり、本堂奥に
舞台様の絵馬堂が描かれています。

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幕末期に描かれた浪花百景石和板『生玉辨天池夜景』
(芳瀧・画)には蓮池に辨天堂が描かれています。
(注・2)

明治以前はこのような風景だったんですねぇ

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明治の神仏分離で辨天堂が移転し、戦後蓮池は
埋め立てられ生玉公園に変わってしまいました。

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楼門が立っていた所には鳥居が建てられている
現在の表参道からの生國魂神社です。

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大鳥居を潜った正面に主祭神・生島大神、足島大神
相殿神・大物主大神が祀られている拝本殿に

二礼二拍手一礼して、

本殿北側の境内巡拝路へ

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戦前までは本殿の裏(西)側に絵馬堂の舞台がありました。
(注・2)

画像は幕末期に描かれた浪華百景「生玉絵馬堂」(国員・画)です。

絵馬堂の奥(西)には甍が波のように連なり、その先の
茅渟の海には数多くの船が描かれています。

絵馬堂は展望台も兼ねていたようで、境内には
茶店が並び大いに賑わっていたようです。

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境内巡拝路に沿って進むと、手前から天満宮、
住吉神社、その奥に皇大神宮があり、

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さらに進むと、元は表参道の蓮池に祀られていた「弁天堂」が
精鎖社と改称し、境内社として祀られていますが、

もとは弁天さんなんですょ

あかん、つるぺたの弁天さん思い出してしもた

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元は弁天さんの精鎖社の奥には、
三社も並んだ稲荷神社が・・

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北西の境内には城方向八幡宮、鞲神社、家造神社、
浄瑠璃神社が並んでいます。

文楽大好きの扇屋、浄瑠璃神社で神妙に

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まだ多くの神社が祀られているのですが、
真言坂に面した朱門から退出します。


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この後真言坂を下り松屋町筋を南下、

夕霧太夫が眠る浄国寺の参拝に向かうのですが、


一寸だけ



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(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵
から借用しました。







けったいなお爺お婆軍団が (^^♪

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秋に幸せを感じる風景は何といっても『紅葉』、赤色に黄色、茶色と
山々が黄金色に輝いて訪れた者を魅了してくれます。

暇を持て余す何時もの『けったいなお爺お婆軍団』が、
『箕面へ紅葉狩りにでも行きまへんか❔』の
一言で、みのおへ紅葉狩りに
出掛けてきました。

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御一行様9名、阪急の箕面駅で待ち合わせ。
観光用の滝道を通らず裏道を通って
西江寺さんへ

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西江寺さんは箕面では隠れた紅葉の名所なんですょ

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石段を登って境内に

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大黒天堂に一礼して本堂へ

綺麗にもみじ焼けしています

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大黒天堂前の石段を登りつめた先に本堂があります。

せっかくの紅葉狩りなんですが、「お寺と」聞けば
何もかもほったらかしで本堂内陣は
の扇屋、目指すは本堂内陣へ。

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金網越しですが西江寺本堂内陣です。

中央の厨子もしくは奥の須弥壇に秘仏の歓喜天像が
安置されているようですねぇ。

『覗いてみたいなぁ~ぁ

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大黒天堂前の境内に戻って来ました。

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本当に日本の秋ですねぇ

しかし今年の色づきは昨年と比べると
少し良くないような気がします。

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西江寺さんの参拝を終えて滝道に戻り、
龍安寺さんに向かいます。

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滝道を進み音羽山荘前で一枚

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龍安寺前の公園にやって来ました。

何時もの時季ならもう真紅かになっているのですが、
今年は未だにこのような状態です

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公園前の竜安寺本坊。

本坊の石垣に白壁、朱色の橋。

ここも昨年までは箕面の紅葉スポットだったのですが、
9月の台風で古木の倒れたり枝葉が折れ
無残な姿をなっています。

哀れデスねぇ

滝まで行っても同じようなので
昼食を戴きに駅まで
戻ります。

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駅前で若いお嬢さんにキャッチされ、
こちらに案内されました。


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Web上だけで繋がったけったいなお爺お婆軍団、

皆さんが見知らずの方ばかりなんですょ。



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そんなお爺お婆軍団が毎月Eメールで

連絡を取り合って、適当に

暇つぶし。



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本当に不思議なお友達なんです。







夕霧太夫が眠る上町台地

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類なき御傾城・夕霧大夫が眠る上町台地、井原西鶴の
『好色一代男』で『神代このかた、また類なき御傾城
の鏡』とまで絶賛された、夕霧大夫を偲ぼうと
生國魂神社を経て浄国寺へ・・・

延宝6年(1678)に京・島原の『扇屋』夕霧太夫は、扇屋が
大坂に移転しため新町の太夫になりましたが、
若くして病没すると大坂中がその死を
悼んだと伝えられています。

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生國魂神社境内社の浄瑠璃神社の参拝を終え、
北門より真言坂を下って退出します。

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会に記された
天王寺七坂の一つ『真言坂』の鳥瞰図です。
(注・1)

坂の石段を登り切った所に神宮寺の生玉十坊や、
石段下には茶店が商店が描かれています。

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幕末期に描かれた浪速百景『真言坂』国員・画です。
(注・2)

生玉十坊の内、坂の付近にあった六坊が真言宗
だったことから『真言坂』と名付けられたそうです。

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お茶屋や商店がマンションになってしまった真言坂。

国員さんも見たらびっくり   

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真言坂を下り松屋町筋の下寺町交差点に出てきました。
こちらから松屋町筋を南に下っていきます。

生玉周辺のマンションには男はんが大好きな

○○系のお嬢さん

沢山住んではるんですょ

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下寺町交差点から少し南に下ると大蓮寺さんがあります。

大蓮寺は、大阪市天王寺区下寺町にある浄土宗の寺院で、
正式名称は如意珠應山極楽院大蓮寺と云います。

天文19年(1550)室町幕府・足利義晴将軍の三男・
晴誉上人によって創建されました。

江戸時代には寺子屋が開かれ関係で、明治以降に高津小
学校や天王寺高校の発祥の地にもなったお寺です。

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そんな教育系のお寺に不思議なことに
『吉本興業』の芸人塚があります。

何ででんねん

そんなん知りまへんがな

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大蓮寺さんの南隣には応典院さんが( ^ω^)・・・。

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応典院は、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が担っていた
地域文化交流活動に特化し、円形型ホールやセミナー
ルームなどを備えたお寺なのです。

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応典院さんの南隣には新町の夕霧太夫が
眠る浄国寺さんがあります。

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浄国寺は、大阪市天王寺区下寺町にある浄土宗の
寺院で、山号を無衰山といい、永禄3年(1560)に
寂連社円誉上人が創建しました。

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毎年4月の第1周の日曜日に『花祭り夕霧太夫行列』と
呼ばれるお祭りが催されています。
(注・3)

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山門を潜った正面に、江戸時代初期の作と言われる本尊の、
説法印姿の阿弥陀如来立像が安置された本堂が・・

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本堂の北隣には、井原西鶴が好色一代男で『神代このかた、
また類なき御傾城の鏡』と表現した夕霧太夫の墓碑が

夕霧太夫の墓碑には上島鬼貫が詠んだ『此塚に柳なくとも
あわれ也』と詠んだ句が刻まれています。

この墓碑に

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毎年4月の花祭り行事には檀家の方が、夕霧太夫に
扮しお墓参りをしています。(注・3)

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後になりましたが浄国寺には山門のすぐ横に
『まんなおし地蔵尊』が安置されています。

「まんなおし」とは『まんが悪い』とか『運が良く悪い』のを、
『なおす』願いを叶えてくれる地蔵なのだそうですょ。

運の無い人にはお助け仏なんだそうです

一礼して『  アン  』



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これで明日からな生活が



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勤労感謝の日でお休みだった方

お勤めだった方


皆さん


お疲れ様でした。




(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵
(注・3) 浄国寺ホームページ蔵

から借用しました。

寒くなりましたねぇ ( ;∀;)

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暦の上では立冬から小雪に移り変わった10月22日に、
関西地方に『木枯らし1号』が吹きました。

黄金色に染まった銀杏木々から葉っぱを舞い立たせ、
とうとう冬支度を始める時期に( ^ω^)・・・なり、

『朝と昼の気温差が大きいので、体調管理はシッカリ
注意しましょう』なんて、言葉を天気予報などで
よく耳にするようになりました。

若い人や健康な身体の持ち主であれば、皮膚が外気温を
感知し、脳に指令を送って体温調整がなされますが、
高齢者や身体虚弱者にとって気温の低下は
生体機能にかなりの負担となります。
また、
症状の悪化の引き金になってしまいます。


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人は生活環境の温度変化によって暑いときには発汗し、
寒いときには体内の熱源を燃やして体温を
上げようとします。

しかし、自力で体温調節ができるのは外気温が約25℃~
26℃といわれ、衣服と人体の皮膚の間のごく狭い
空間の温度は約32℃で、湿度約50%が
適切な気候とされています。


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身体機能の低下や疾病を持つ者にとって、気温の低下は
生体機能にかなりの負担となり、症状の悪化を
招く原因となってしまいます。

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昨年11月21日の何時もの公園の秋色です。

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台風による風害と塩害でダメージを受けた
現在の何時もの公園の秋色です。

寒さが肌に厳しく感じた今日、肩をすくめての
お散歩姿の方を多く見かけましたが、

衣服内気候をシッカリと整えんと

『ぽっくりと行きまっせ


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本格的な寒さに向かう時期となりました。


衣服内気候に注意して


快適にお過ごしください。





愛染坂の浮瀬亭 ❔

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大阪市の中心部を南北に走る上町台地。その西側で
谷町筋と松屋町筋の間に天王寺七坂があります。

坂の下り口にある愛染堂から名付けられた愛染坂が
在ります。その愛染坂と尋ねると直ぐに答えが
帰って来ますが、『愛染坂の浮瀬亭』と
聞くと皆さん❔❔❔なのです。

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夕霧太夫の墓前で『この塚は 柳なくとも 哀れなり』と詠んだ
上島鬼貫の墓所から赤穂浪士の墓所、竹田出雲の墓所、
八百屋半兵衛と妻お千代の墓所を訊ね生國魂神社を
経由して夕霧太夫が眠る浄国寺の参拝に訪れた後、
さらに松屋町筋を南に下り文楽座の祖と云われる
植村文楽軒の眠る円成院さんの参拝に

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源聖寺坂の登り口を左に見て松屋町筋を南に

源聖寺坂を上りきった所には八百屋半兵衛と
妻お千代が眠る銀山寺さんがありました。

イメージ 3

坂の下から眺めると道の起伏が『くちなわ(蛇)』に似ている
ことから名付けられた口縄坂をスルーして南へ

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やって来ました植村文楽軒の墓所、円成院さん。

円成院は、大阪市天王寺区下寺町にある時宗の寺院で、
鎌倉時代後期に一遍上人が四天王寺を参詣した時に
構えた庵の跡地に、延享元年(1744)遊行第五十一代
他阿賦存が寺を建立したと伝わっています。

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植村文楽軒は、淡路国の出身で寛政年間に大坂高津橋に
人形浄瑠璃の稽古場を開き、文化2年(1805)高津新地に
文楽座の元となる人形浄瑠璃の小屋を開設しました。
(注・1)

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境内北側の墓所に文楽翁の碑があり、

イメージ 6

その横に初代植村文楽軒の墓標があります。

 文楽に尽力有難うございますした 

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円成院さんの参拝を終えた後、松屋町筋に戻り
最初の角を左(東)に曲がります。

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松屋町筋を左折して進むと正面に大江神社があります。

この急な石段を登るのは心臓に負担をかけるので、
南側の愛染坂を上っていきます。

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大江神社境内の南側にある愛染坂です。

この愛染坂の右側に浮瀬亭という料亭が
江戸時代にありました。

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会に
記された愛染坂の鳥瞰図です。
(注・2)

右のページの下側に描かれているのが浮瀬亭です。

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摂津名所図会に描かれた浮瀬亭の鳥瞰図です。
(注・2)

浮瀬亭は、大阪市天王寺区伶人町にかつて在った大坂
随一の料亭で、江戸時代には海岸線も近く視界を
遮る建物も無かったので、淡路島まで見渡せる
眺望の良さと『浮瀬』と呼ばれる「奇杯」を
所蔵していたことで、多くの文人墨人が
贔屓にしていたようです。

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幕末期に描かれた浪華百景石和板
『増井浮瀬夜の雪』芳瀧・画です。
(注・3)

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エッチラオッチラと愛染坂を上りきって後を振り返ると
坂を挟んで左に大阪星光学園、右に
大江神社があります。

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谷町筋に面した大阪星光学園の前に戻って来ました。

浮瀬亭は明治20年(1887)頃に売りに出され、個人の
別荘となったのですが、変遷を得て現在は
大阪星光学園になっています。

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浮瀬亭の建物は無くなってしまっていますが、寛政12年
(1800)に大坂の俳人・茅渟奇淵が建立した
芭蕉の句碑が残されています。

拝観は学園側に事前申し込みが可能との事でした。



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少し寄り道をしましたが後戻りをして


大江神社、愛染堂勝鬘院に向かいます。





(注・1) 文楽年表蔵
(注・2) 早稲田大学図書館蔵
(注・3) 大阪府立中之島図書館蔵

から借用しました。






ホンマでっか!❔

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大阪メトロ谷町線の四天王寺夕陽ヶ丘駅から地上に出て、
直ぐに『愛染さん』の看板が目に留まります。

大阪で最も優秀な高校『星光学園』の校舎北側の道を
入ると、突き当りに天王寺七宮の一つ『大江神社』、
その手前に赤門の『愛染堂勝鬘院』があります。

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大阪メトロの四天王寺夕陽ヶ丘駅をから
地上に出ると必ず目にする看板
 『愛染さん』 

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大阪星光学園の北側の道をドン突きまで行くと

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愛染坂の下り口と並んで大江神社の鳥居があります。

大阪市天王寺区夕陽ヶ丘にある大江神社は、四天王寺
七宮の一社で聖徳太子によって創建されました。

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、
大江神社、愛染坂、愛染堂勝鬘院の
鳥瞰図が描かれています。
(注・1)

薩長連合太政官政府の神仏分離で神宮寺が廃しされ、
慶応3年(1867)大江神社と改名されました。

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鳥居を潜って境内に入ると正面に朽ちかけた絵馬堂が❔
大江神社の絵馬堂から眺める夕日は絶景で
夕陽ヶ丘の地名にもなりました。

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境内を入って右側に豊受大神、素戔嗚尊、大己貴命、
少彦名命、欽明天皇が祭られた本殿があります。

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本殿の左隣には神宮寺時代に毘沙門天を祀っつた
『毘沙門堂』がありました。

毘沙門堂は廃されましたが、何故か『狛虎』だけが残されいます。

阿行の狛虎が行方不明になっていたのですが、阪神ファンが
集まり阿行の狛虎を新調し奉納した所、その年の
リーグ戦で優勝し以後この地は阪神ファンの
聖地となってしまいました。

大江神社の参拝を終え愛染堂へ

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大江神社の東隣にある愛染堂勝鬘院は、推古天皇元年
(593)に聖徳太子が四天王寺建立の際に、敬田院、
施薬院、療病院、悲田院という施設を
併設し、その内の施薬院が
現在の愛染堂なのです。

イメージ 9

赤門を潜ってさらに医薬門を潜ると

イメージ 10

正面に金堂(愛染堂)があります。

施薬院の金堂で鬘院経という経が説かれ、その経に登場する
『勝鬘夫人』の仏像を安置していたため、施薬院は
勝鬘院と呼ばれるようになりました。

イメージ 11

金堂(愛染堂)内陣須弥壇に本尊の愛染明王が
安置されています。

『愛欲が生きる喜びや活力となって人間の可能性を高め、
さらに愛欲を貪る煩悩を悟りへと導いてくれる』
のだそうですょ

イメージ 12

金堂(愛染堂)の裏には慶長2年(1597)に豊臣秀吉公により
再建された多宝塔があります。(重文)

勝鬘院は昭和20年の大阪大空襲から被災を逃れた
唯一の伽藍なんですねぇ

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幕末期に描かれた浪花百景石和板『勝曼院愛染堂』
芳雪・画です。(注・2)

摂津名所図会大成によれば『就中傾城遊女俳優をはじめ
衆人の愛をうけんと欲するもの 歩を運びて愛敬を
祈るがゆへに 往来花麗にして賑わいし』
と記しています。

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境内には霊木の『愛染かつら』が・・・( ^ω^)・・・

桂の巨木にノウゼンカズラのツルが巻き付いて
一体となった『愛染かつら』

この霊木の前で愛を語り合った男女は、
どんな困難があっても必ず結ばれる、
と言われています。けどねぇ❔

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愛染堂勝鬘院の参拝を終え、大阪メトロ四天王寺
夕陽ヶ丘駅に戻って来ました。


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こちらから地下鉄に乗って帰宅します。



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長々と上町台地のお散歩お付き合い


有難うございました。




(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館蔵

から借用しました。






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