高野山は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約800mの平坦地
に位置し、平安時代の弘仁7年(876)に嵯峨天皇から僧空海
(弘法大師)に下賜された仏教聖地なのです。
現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場と、奥の院と呼ばれる御廟
所の二大聖地で構成されています。
高野山開創1200年を記念して170年ぶりに
再建された壇上伽藍の中門です。
中門を潜って正面に金堂があります。
金堂は高野山開創時に弘法大師の手により、御社に次いで
最初に建立された堂で、高野山の根本道場として
重要な建物です。
現在の建物は昭和7年(1932)再建されました。
金堂内陣の厨子には高村光雲仏師作の秘仏
薬師如来坐像が安置されています。
(画像は借り物です)
金堂の東側に位置する不動堂は、鳥羽上皇の皇女で
八條女院内親王の発願で建立され、不動明王、
八大童子が安置されています。
壇上伽藍の西端に御社があります。
御社は、高野山開創の折弘法大師が、山麓の天野大社
(丹生都比売神社)から、弘仁10年(819)に
地主神として最初に勧請されました。
御社前の山王院は、御社の拝殿として建立されたもので、
地主神を山王として礼拝する社です。
現在の建物は文禄3年(1594)に再建されました。
山王院の北に建つ西塔は、開創伽藍建立案である
「御図記」に基づき、高野山第二世真然大徳
によって建立されました。
現在の建物は文禄3年(1594)に再建されました。
西塔の東側に孔雀堂と准泜堂が並んで建立されています。
金堂の北側に御影堂と根本大塔が建っています。
御影堂は、弘法大師の持仏堂として建立されたのですが、
真如親王直筆の「弘法大師像」が奉安されてより、
御影堂と名付けられました。
真言密教の根本道場の中心として建立された根本大塔は、
弘法大師、真然大徳の二代を費して816か~887年
頃に建立されました。
現在の建物は昭和12年(1937)に再建されました。
根本大塔の内陣は、本尊の胎蔵界大日如来坐像を中心に、
金剛界の四仏が配置され、柱には十六大菩薩像
が描かれています。
根本大塔の東側にある愛染堂は、後醍醐天皇の論命により
建立され、本尊の愛染明王が安置されています。
愛染堂の東側に建つ大会堂です。
大会堂の東側に建つ三味堂です。
壇上伽藍の東端に建つ東塔は、白河院の御願により
醍醐三宝院勝覚僧正によって建立されました。
現在の建物は昭和59年(1984)に再建されました。
東塔から少し東の位置に小さな廟が立っています。
この廟は弘法大師の甥で高野山に東南院と号され、
壇上伽藍の起源となる草庵を開いた
智泉大徳廟なのです。
弘法大師に代わって高野山の伽藍整備に尽力し、
若くして亡くなられました。
壇上伽藍の参拝を終え奥の院にやって来ました。
奥の院は高野山信仰の中心地で、弘法大師廟の
ある聖地なのです。
一の橋から御廟所までの参道には、約20万基を超える
墓石や慰霊碑が杉木立の中に並んでいます。
結界となっている橋の向こうに灯篭堂、弘法大師廟、
頌徳殿があります。
青巌寺(金剛峯寺)はスルーします。
さ ~ い の か ~ ぁ