江戸時代の大坂は江戸、京と並ぶ三都の一つで、
「水の都」商人の町として栄えていました。
難波京の昔から重要な湊が置かれた水都大坂は、「八百八橋」と
歌われ有名な橋や古寺社に庶民的な街が、幕末期に
その姿が錦絵として残されています。
大坂の浮世絵は、天保の改革
(1830~44)で一時は火が消え
たようになっていましたが、安政
3年(1856)に出版された歌川広
重の名所江戸百景に続いて、
安政6年(1859)に大阪北浜の版
元が国員、芳瀧、芳雪らの合作
による浪花百景の出版で復活を
遂げました。
その後、幕末期から明治初期に大坂で活躍した長谷川貞信らに
よって、最盛期を迎えることになります。
浪花百景石和板「住吉高とうろう」国員(画)です。
国員は一珠斎と称し歌川姓を名乗っていますが、歌川国貞
(三代目豊国)の門人と言われていますが詳細は不明で、
生没年不詳の大坂人で役者絵、風景画、美人画
などを中心に、嘉永から慶応年間に
活躍した浮世絵師です。
浪花百景石和板「浅沢の弁才天」芳瀧(画)です。
芳瀧は、天保12年(1841)大坂鰻谷の生まれで、一葉斎と称し
大坂に居住していましたが、京・堺に移り明治30年
(1899)に堺の甲斐町で生涯を終えました。
長谷川貞信と並び称される上方浮世絵師で、得意とする
役者絵から風景画まで手掛けていました。
浪花百景石和板「うらえ杜若」芳雪(画)です。
芳雪は、天保6年(1835)生まれの大坂人で、森氏、芳雪、南粋亭、
六花園などと称した一鶯斎芳梅の門人で、役者絵や
風景画から開化風俗画を描いていました。
明治8年(1875)頃まで大坂で活躍していましたが、
明治12年にその生涯を終えました。
浪華百景の内「四天王寺東門」貞信(画)です。
初代長谷川貞信は、文化6年(1809)大坂安堂寺町の生まれで、
四条流の上田公長の門人となり、歌川貞升、柳斎宝春に
学び、役者絵を専らにしていました。
天保の改革を境に風景画に転身し、浪華百景などの
作品を生み出し、明治12年(1879)に
その生涯を終えました。
摂津名所図会は、摂津国の名所と歴史を絵画と文章で紹介した
地誌で、京の吉野家為八が企画し寛政8年(1796)に
出版されました。
これから錦絵と摂津名所図会を手に大阪の街歩きに
出かけたいと思っています。
全国各地で台風1号の影響で大雨による
災害が発生しています。
災難が無難になりますよう願っています。
使用しました浮世絵画像は大阪府立中之島図書館から借用しました。