大阪中之島は、北区にある堂島川と土佐堀川に挟まれた
細長い中洲で、元和元年(1615)淀屋常安によって開発されました。
大阪湾から遡上する二大航路の
安治川と木津川の分岐点でもある中之島は、
江戸時代には諸藩の蔵屋敷が立ち並び、全国各地
の産物が集まる「天下の台所」大坂の中枢だった所です。
明治になり諸藩の蔵屋敷は払い下げられ、大阪の
商業やビジネスの中心地として変貌を遂げています。
靭公園から四ツ橋筋を歩くこと10分程で
肥後橋南詰の肥後橋南交差点にやってきました。
文化3年(1808)の中之島の地図です。
肥後橋は、江戸時代には西横堀川東岸の
横堀筋北端から中之島に架けられていました。
橋の北詰に肥後藩蔵屋敷があったことから
肥後橋と名付けられたようです。
明治18年(1885)の淀川大洪水で流失し、明治21年に
渡辺橋と対になる現在の位置に架け替えられました
明治21年(1888)頃の中之島の地図です。
この当時は四ツ橋筋は建設されておらず、
梅田道が中之島まで繋がっていました。
中之島の梅田道東側には明治4年(1871)
大阪中央郵便局の前身である大阪郵便役所が
島原藩蔵屋敷跡に開設され、筋向いのいよ宇和島藩
蔵屋敷跡に明治18年朝日新聞社が
西区京町堀から中之島に移転してきました。
明治12年(1879)1月25日付の朝日新聞創刊号です。
大正の初め頃に肥後橋川から撮影された
大阪郵便役所の建物です。
大阪郵便役所は、明治4年(1871)に土佐堀川に面した島原藩
蔵屋敷跡に開設され、明治10年に大坂郵便局と改称され
もとともに現在の近畿郵政局(中央区北浜東3)に移転しました。
大正5年(1916)頃に肥後橋側から写された
大阪郵便役所と朝日新聞社ビルです。
昭和6年(1931)頃の朝日ビルです。
朝日ビルの左に朝日新聞社ビル、
右に朝日会館ビルが写っています。
昭和25年~27年(1950~52)頃の中之島の詳細地図です。
大阪郵便役所の跡地に昭和27年~昭和31年(1956)
までスケートリンクのアサヒアリーナが開設されていました。
アサヒアリーナの跡地に昭和33年(1958)新朝日ビルが
建設され、フェスティバルホールゃABCホールが設けられました。
昭和43年(1968)に朝日ビルに接続して
朝日新聞ビルと朝日開会ビルが建て替えられました。
平成10年(1998)に渡辺橋から見た
新朝日ビルと朝日ビルです。
平成24年(2012)に新朝日ビルが中之島
フェスティバルタワー東棟に建て替わりました。
フェスティバルホールも新ビルの中に移転しています。
四ツ橋筋西側の朝日系ビル3棟も取り壊され
中之島フェスティバルタワー西棟の工事が始まっています。
渡辺橋から東方向の景色です。
高速道路の分岐点の下の所に堂島米会所跡が
あるのですが、前回の散歩のときには新ダイビルは
建設中だったのですが今日見ると完工したみたいです。
渡辺橋を渡り堂島地下センターにやってきました。
いつもこちらでお茶をいただいています。
冷コーとかコールコーヒーと関西では言っていましたが、
最近ではアイスコーヒーというようになったようです。
和菓子屋さんなのでコーヒーにも和菓子が付いてきます。
一休み 一休み
お茶を頂いてから堂島薬師堂の散策に向かいます。
今日もお付き合いありがとうございました。