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Channel: 浪花のおじさんぽ (^^♪
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これは左遷・栄転ですか❔

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組織には退職・採用による人の出入りがありますが、新年度に
行われる入社・退職に伴って、多くの職場で
人事異動が行われています。

納得のいく内示であればうれしいのですが、自分の意に
反する内示を受ける事も多いようですねぇ。

年度替わりはサラリーマンにとって一番悩まされる季節。

扇屋の贔屓TV番組ブラタモリも、在籍するアナの
異動や番組の担当変更が行われました。


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昨日の24日に放送100回を迎えた『ブラタモリ』

この回を以って純朴でのんびりとしたキャラクターの
近江アナが番組を降板し、4月からの「あさイチ」
に移動することになったようです。


番組の中で恒例になっている神社での『近江ちゃん 
貸して❔』とお賽銭を借りる場面、距離感の無い
絶妙のコンビやったのですがねぇ~


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4月からの放送では新しく林田アナが務めることに


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四代目のパートナーになっても

『ゆる~い空気が流れる』


ブラタモリになるんやろかねぇ~。







今日はお花見日和でしたねぇ

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爽やかな晴天と春の陽光に誘われて、山や海・公園などの
行楽地へと出がけたくなる季節になりましたねぇ。

そんな陽気に誘われて

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何時もの公園の桜もほぼ7分咲
明日に満開に

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地面に敷いたマットの上で、談笑しながら食事を楽しむ
家族ずれが多を見かけるようになりました。

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今日は風も穏やかな最適の花見日和になりました。

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午前中は花見客が少ないので、近くの保育園の子供たちも
伸び伸びとお散歩タイムを楽しんでいるようです。

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老いも若きも桜の咲く時期になると心が
浮き立つのはいいけれど


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午後からの宴会のため午前中からブルーシートで
陣取り合戦、何とかなりませんかいな


それと

飲んで騒ぎたいんやったら


後始末ぐらいして帰れ




大阪城にも桃園がおまっせ ! !

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大阪城の梅や桜は有名なのですが、実は
『桃園』もあるのご存知でしたか

細~く・長~い三ヶ月形をした三の丸庭園内に、12品種
約200本の多彩な桃の花が楽しむことが
出来る『桃園』があります。

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環状線の京橋駅から大阪城総構えの寝屋川を渡り、
ツインタワー21を通りぬけて、

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たどり着いたのが外堀に架かる新鴫野橋北詰、
橋を渡って右に曲がると、

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大阪城桃園に着きます。

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大阪ビジネスパークが借景に桃の花が楽しめますょ。

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中国では古くから桃は仙木・仙果と呼ばれ、昔から
邪気を祓い不老長寿を与える植物と親しまれ、
桃の花びらをお酒に浮かべ飲む
風習があるんですょ。

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日本においても古くから桃には邪気を祓う力があると
考えられており、『古事記』には伊弉諾尊が
桃を投げつけ黄泉醜(よもつしこめ)を
退散させたと記していますねぇ。


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民話では桃から生まれた桃太郎が
鬼退治をする話が有り、

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「三国志演義」には、

『我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを
結びしからは、心を同じくして助け合い、
・・・中略・・・
同年、同月、同日に死せん』と、劉備・関羽・張飛の
三人が義兄弟の誓いを結んだのが『桃園』

桃園は神聖な場所だったんですねぇ~


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この後本丸広場に向かいましたが、


今日はこの辺で・・・・・。




初夏の陽気に誘われて

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ついこの間まで真冬の寒さとなっていた阪神間ですが、
連日初夏を思わせるポカポカ陽気が続いています。

大阪管区気象台によれば、高気圧に覆われた影響で
暖かく乾いた空気が流れ込んだため、連日
汗ばむ程の陽気が続いているとの事。

高知で桜が満開になったと発表されると、連日の陽気で
大阪城の桜も負けじと一気に満開になりました。

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三の丸庭園から青屋門を潜り、内濠に架かる極楽橋を
渡って本丸広場に向かいます

暑い日の舟遊びは涼しそう

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極楽橋を渡って刻印石広場からの天守閣を

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天守台の西を通って見つけました戦争遺産。

アメリカ軍の艦載機グラマンからの機銃掃射跡を

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本丸広場旧紀州御殿跡からの天守閣を

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同所から現在レストランに変身している旧陸軍司令本部を

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本丸広場から桜門を潜って二の丸へ

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二の丸広場で太閤さんにご挨拶をして

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大阪の桜の標準木のある二の丸庭園をスルーして、
多聞櫓前からの桜を楽しみながら

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大手見附石前で見知らぬお嬢さんと会話を楽しんで

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大手門を潜り錦城の馬場へ

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錦城馬場先から続く南外濠、大阪城守りの一番の弱点と
云われるだけあって、堀幅が75mで高石垣が続きます。

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江戸時代には高石垣に7つあったと云われる櫓、
唯一残された櫓が寂しそうに

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南外濠城南広場の桜のトンネルを楽しみながら、
森之宮経由で帰宅します


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インバウンド事業か何か知らんけど


何処行っても人だらけ


かなんなぁ~







何でこんなんあんの❔

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昭和8年(1933)に梅田~心斎橋間の約3kmが開業した日本初の
大阪市営地下鉄道は、大阪経済や地域住民の生活を
支えてきましたが、来月の1日から大阪市が
100%出資する『大阪市高速電気軌道』
通称オオサカメトロに変身します。

ところで大阪の地下鉄には、他の鉄道では見られない
独特の『モノ』が駅ホームに設置されています。

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御堂筋線梅田駅です。

地下鉄は車両から出る排熱がトンネル内にこもるため、
その影響を調べる目的で小学校の頃見かけた
百葉箱が設置されています。

地下鉄が開業した翌年(昭和9年)に淀屋橋駅に設置され、
その後梅田や天満橋などの主要駅に設置されました。

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御堂筋線梅田駅に設置されている百葉箱です。

列車の進入で強風が吹くことから、その影響を避けるため
百葉箱が必要だったそうですが、計測技術が進歩した
ことから不要となり、撤去話が出るものの現在も
10数駅で観測活動に従事しているとのこと。

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余談ですが、民営化で昭和8年から全車両や構内の
案内板などに使用されてきた『マルコマーク』も、
引退させられ

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4月1日からオオサカメトロのロゴマークに
変更されてしまいます。


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公営地下鉄の民営化は全国初で、JRを除ぞいたら


関西で最大の鉄道会社になるんやてぇ










何処に落ちるんやろ❔

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制御不能に陥った中国の宇宙実験施設『天宮1号』が、
早ければ一両日中に落下する見込みで、最悪
100kgに近い残骸が地上に落下する
恐れが指摘されています。

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天宮1号について中国有人宇宙局は、3月31日~4月2日の
間に大気圏に再突入し炎上するとし、昨年5月の時点で
天宮1号が機能しなくなったと国連に報告していました。

国連報告の中で中国は、大気圏再突入で大部分が燃え尽き、
燃え残った部分は海上に落下するので、人に当たる
確率は1兆分の1未満と報告しています。

また天宮1号の落下によって航空活動や地上活動に、
被害が出る可能性は極めて小さいも述べています。

が、

『被害が出る可能性は極めて小さい』 ❔❔❔

と言う事は


『出る可能性もある』


と言う事やないか 


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 あったらどないすんねん 


 だれが責任とんねん 





今まで何してはったん❔

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昨年シドニー大学のニコルソン美術館で、空と思われて150年以上
放置されていたエジプトの石棺を開けたところ、盗掘者によって
荒らされた後に残されたとみられるミイラの足の骨が、
発見されましたとBBC Newsが報道しました。


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石棺はおよそ2500年前のもので、1860年代に美術館の
創設者がエジプトから運んだ4基の石棺の一つで、
見た目や特徴の無さからエジプトの学者の
間では、中身が入ってないと
されていたようです。

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ミイラは盗掘者の手で著しく損傷されたうえ略奪されており、
CTなどの調査では棺の中に残っていたのは、
人体の僅か1割ほどだったと云います。

樹脂のかけらや死装束に着けられていた7000個以上の
ビーズなども発見されています。


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放射性炭素年代測定によって、人骨の死亡年代が特定されれば、
棺に刻まれていたメル・ネイス・イト・エスという女性の
ミイラの一部だと証明が出来るとしています。


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今回の調査で『ちりと破片の山だったものが、実質的な

考古学的発見』へと変わったと述べています。



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せんどほったらかしといて


何が考古学的発見や





なにこれ❔

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香ばし~い生地を『サクッ』と一口噛むと、中から『トロッ』とした
食感のカスタードクリームが魅力のシュークリーム。

ビアードパパといえばシュークリームの専門店なのですが、
飲むシュークリームなるものを発売しました。


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昨年の3月からJR東日本の駅ナカの自販機で先行
販売されていましたが、昨日JR大阪駅の
環状線ホームに設置されている
自販機で見かけました。

思わず苦笑いをしながら
ボタンをクリック。


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ネットではスイーツ系缶飲料は男女ともに人気だそうで、
パケ買いする人も多いのだそうですが、


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トロリとしたシュークリームの食感と思いきや、
サラッとした溶けたアイス❔、いや
ミルクセーキみたいな味。


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シュークリームはやっぱりこれやねぇ。


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いいやシュークリームは


ヒ ロ タ で っ せ  





天下一の花街 大坂新町を歩く

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徳川幕府によってわが国で最初に公認された新町遊郭は、
大坂夏の陣で崩落した大坂城再建のため集められた
諸藩の武士の風紀の乱れを案じ、各所に散在し
ていた遊所を新町に集めたのが始りで、

元和5年(1619)の大阪城再建から昭和31年(1956)の
国法による禁止がなされるまで、約340年に
渡って天下一の花街としてその名を
轟かせていました。

新町遊郭は、井原西鶴や近松門左衛門をはじめ
数多くの芸術作品の舞台となり、大坂文化に
欠かせない場所でもありました。

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大阪メトロ四ツ橋駅にやって来ました。

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四ツ橋駅から西横堀川(現・阪神高速1号環状線)に
沿って少し北上すると、

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新町橋の橋梁顕彰碑の前にやって来ます。

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、
新町遊郭の東側の通路として寛文12年
(1672)に西横堀川に架けられ、廓の
中心の瓢箪町筋にあり、
新町橋は市内側への唯一の通路と記しています。(*1)

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昭和12年(1937)頃の新町橋です。

昭和2年に大阪市の都市計画事業で、鉄筋コンクリート製の
アーチ橋に架け替えられたのですが、昭和46年
(1971)に西横堀川の埋め立てに伴って
その姿を消すことになりました。

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旧新町橋東詰め(船場側)から現在の新町に向かいます。

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幕末期に描かれた浪花百景『新町見世付』国員(画)です。(*2)

遊女屋の表に面した格子の部屋を、客が
格子越しに遊女を見ている所が
描かれています。

明治5年(1872)の遊女解放令以後、格子
部屋の構図は無くなりました。

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当時新町遊郭で九軒と並び華やかであった瓢箪町は、
商都大阪を支えるビジネス街に変身しています。

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浪花百景『新町廓中九軒夜桜』芳瀧(画)です。(*2)

これは文政2年(1819)新町振興策の一環として桜が
植えられたようで、以来毎年太夫行列が
九軒桜の元で行われていました。

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明治33年(1900)に描かれた新町桜堤太夫道中画です。(*2)

桜で飾り付けた太夫道中が桜並木の元を
練り歩く姿が描かれています。

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昭和初期の新町廓揚屋の吉田屋前の画像です。

新町廓の揚屋では吉田屋・高島屋・茨木屋などが大きく、
桜堤前には吉田屋があったようです。

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現在のオリックス劇場から西のなにわ筋近くまでが
九軒だったようで、この付近に吉田屋が
在ったと所だと云われています。

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オリックス劇場前の新町北公園には桜が植栽され、
唯一桜堤を偲ばせる雰囲気が❔❔❔。

太夫道中が行われ多くの見物客が詰めかけた桜堤、
今ではサラリーマンのお花見で賑っています。

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新町北公園の北西角には新町九軒桜堤跡の
石碑が建てられています。


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新町廓街歩き資料整理のため


今日はこの辺で



(*1)早稲田大学図書館蔵
(*2)大阪府立中之島図書館蔵

扇屋の夕霧太夫

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大坂新町廓には『扇屋、くらはしや、つちや、つの井』などの置屋に
約二千名以上の遊女が犇めき合っていたと云われています。

遊女には太夫、天神、鹿子位、端女郎の位階があり、中でも
扇屋の夕霧太夫は京都嶋原の吉野大夫、江戸吉原の
高尾太夫と並んで一世の名妓と評判を取りました。

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古分名婦伝より「新町の夕霧」豊国(画)です。(注・1)

夕霧太夫、本名を『てる』、京都嵯峨の中院の生まれで、
幼少の頃に京嶋原の置屋扇屋に身売り奉公に
出され、お抱え遊女となりました。

その後、扇屋が寛文12年(1672)に夕霧ら遊女を連れて
大坂新町廓に引っ越しをしてきましたが、大坂へきて
僅か6年後に病に倒れ、延宝6年(1678)の正月
6日に25歳の短い一生を終えてしまいます。

その亡骸は扇屋によって下寺町の浄国寺に
手厚く葬られたと伝わっています。

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夕霧太夫の33回忌に近松門左衛門が夕霧太夫を偲び、
浄瑠璃『夕霧阿波鳴門』を書き上げ、近年になり歌舞
伎の坂田藤十郎が『夕霧名残の正月』を舞台に
かけ、その名を不朽のものとしています。

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昭和12年(1937)に新町九軒吉田屋で夕霧太夫260年忌
記念が行われたときの画像です。(注・2)

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4月の一週目の日曜日に行われている『花祭り』には、
夕霧太夫行列と呼ばれる行事が天王寺区下寺町の
浄国寺で行われ、

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浄国寺檀家の娘さんが夕霧太夫に扮して禿や傘持ちら
15名を引き連れ、夕霧太夫の墓前に詣でます。(注・3)

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稀代の名妓夕霧大夫を抱えていた扇屋が在ったのが、
新町北公園の南に位置する忠兵衛ビル付近。

忠兵衛ビルの北西角には初代中村鴈治郎
誕生の碑が建てられています。

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万延元年(1860)頃に扇屋の一人娘の『たえ』と、店に出入り
していた歌舞伎役者の三代目中村翫雀との間に出来た
子が、関西歌舞伎界を支える初代中村鴈次郎。(注・2)

心中天網島の治兵衛を演じ『頬かむりの中に日本一の顔』と
言われたほどの名優で、其の三男が二代目の鴈次郎。
其の長男が三代目の鴈次郎で現在の四代目
山城屋坂田藤十郎なのです。(注・2)

奥さんの芸名が扇千景、次男の芸名が扇雀、
扇屋さんからの伝承なんでしょうかねぇ。

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扇屋があった忠兵衛ビルから西に向かい、現在の新町南
公園前には、その昔天下一の花街として隆盛を誇った
新町花街のランドマーク『新町演舞場』が
建っていました。(注・2)

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大正11年(1922)に建てられた新町演舞場は、昭和20年
(1945)の大阪大空襲で被災し、戦後出版社の大阪屋
が社屋として取得、建物の南東隅に当時の玄関を
保存し本社ビルを建設していました。(注・2)

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平成26年(2014)に大阪屋は東大阪に移転し建物は
解体され、跡地には現在タワーマンション
に変身しています。

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旧新町演舞場前に位置する新町南公園付近は、豊臣秀吉公が
大坂築城のおり砂類の資材置場になり、当時は
砂場と呼ばれていました。
その砂場には、

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、大坂築城に
携わる武士や職人たちが砂場に集まり、その人たちに
麺類を提供する『いずみや、津の国屋』などが
開業したと記し、天正12年(1584)の
古文書には本邦麺類店発祥の
地と記されています。(注・4)

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何の特徴もない新町南公園にも歴史があったんですねぇ。



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足元には歴史が詰まってますねぇ。




注・1 郵政博物館所蔵
注・2 Web画像ファイル
注・3 浄国寺ホームページ
注・4 早稲田大学図書館所蔵
からの借用です。



『桜餅のような八重桜』

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『桜餅のような八重桜』こんな表現、可笑しいですか❔

染井吉野も葉桜になり八重桜の季節になりました。


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桜餅が山ほど木になってると思いませんか❔

ただ単に甘味好きや食いしん坊とかでなく、

不思議なことに大阪人は八重桜を見ると

桜餅を思い描く人が多いんですょ。


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どら焼きみたいな東京の長命寺と違ごて

大阪の桜餅は道明寺やから。


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如何ですか❔ 似てませんか❔


八重桜の花言葉は「豊かな教養」と言うらしいのですが、

『豊かな食欲』に代えてほしいなぁ~。



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土佐藩の長堀材木浜

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織豊時代から江戸時代にかけて大坂の城下には12の堀川がありました。

堀川は天下の台所と呼ばれるほど大坂の経済を支え、『雑候場の魚市』
『永代濱の干鰯市』など堀川の街ならではの繁栄を見せてきました。

長堀川は江戸時代に開削された運河で、東横堀川から
分流し木津川へと一直線に流れ込んでいました。

その長堀川、西横堀川より西を西長堀川と呼び、両岸には
材木商が集まる木材の集積地となっていました。

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太閤さんの大坂築城時に資材置き場となっていた『すなば』。

現在の新町南公園から長堀通西大橋
交差点を西に向かいます。

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長堀通となにわ筋が交わる西大橋交差点から西に
少し歩くと、旧問屋橋の親柱が橋の記念
碑として残されています。

ここに川が流れていた記念なんですねぇ。

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、問屋橋跡から
西の西長堀川には、『関西土佐及日向より諸材をここに
積上せて、朝の市に数千金をあきなう也』と記し
西長堀川の両岸には木材商が
犇めき合っていた様子が
記されています。(注・1)

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幕末期に描かれた浪花百景石板版『長堀財木市』芳瀧(画)です。(注・2)

大坂夏の陣の後、大坂は復興のため多くの
木材が必要となりました。

長堀川が開削される前は立売堀川で、土佐藩申請の材木市が
開かれていましたが、長堀川開削後土佐藩が西長堀川に
藩邸と蔵屋敷を構えたため、西長堀川に材木市が移り
年中材木市が開かれるようになりました。

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昭和10年(1935)頃の西長堀川材木浜の画像です。

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昭和30年(1955)頃の鰹座橋と新鰹座橋の画像です。(注・3)

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現在の長堀通(旧西長堀川)です。

土佐藩の輸送船による材木や海産物の陸揚げにより、
西長堀川にできた市は『浜』として賑い、
繁栄の道を歩みましたが、

時代の変化と共に木材浜も縮小され、さらに市場が大阪南港に
移され、長堀川の水質悪化が原因で昭和48年(1973)に
埋め立てられ、その姿を地上から消すことになりました。

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現在の鰹座橋の風景です。

昭和の初めまで付近一帯に材木商が集まっていました。

鰹座橋から西の玉造橋間の両岸一帯に、
土佐藩邸や蔵屋敷が並んでたんですねぇ。

ここ坂本龍馬も歩いたかも❔


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Coffee店で一服


蔵屋敷跡に向かいます。




(注・1) 早稲田大学図書館所蔵
(注・2) 大阪府立中之島図書館所蔵
(注・3)  Web画像ファイル所蔵




艱難辛苦の姥桜が・・・

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俳諧の芭蕉先生が若いころに『姥桜のさくや老後の思ひ出』、
なんて句を詠んでいます。

老後の思い出に一花咲かせようとして、
姥桜が咲いているなぁ。と、

もっとひどい句も読んでいるんですょ。

『むづ折れやぽっくり往生姥桜』

芭蕉先生、そらおまへん

今の高齢社会には歓迎されまへんで


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外来種のクビアカツヤカミキリの食害で、幹や主枝の
中心部が空洞化し、枯死寸前まで
痛めつけられた姥桜。


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最後の持てる力を振り絞り、今年も美しい
花を咲かしてくれました。


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こんな体になってんのに



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負けてられへんなぁ


明日からもっと 一生懸命生きなあかん









えぇ~っ留守番 !!

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朝のT.V Newsで『今日の午前中は概ね曇りで、午後からは
低気圧や前線の影響で、雨が降る』との天気予報。

『しょ~無いなぁ、今日のおじさんぽは中止やなぁ』と、
独り言の福助。

山の守殿『お父さん今日宅配くるねん、受け取っといてね』

『えぇっ、あんた何処行きますねんな、○○さんと
食事会なんて聞いてまへんわ

『頼んだで云われても責任持てへんで』

そんなこんなで仕方なく宅配便を受け取り、
何時もの公園に

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花が散り葉桜通りになってしまった何時もの公園、

『森林浴気分で葉桜もええもんやわぁ』。

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わぁ~別嬪さんがぎょうさんいてはる

足下には一面見事なお花畑が続いています。

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オオイヌノフグリ

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カラスノエンドウ

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ハナニラ

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コメツブツメグサ

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シャク


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山の守殿に無理やり留守番頼まれたけど、


こんな綺麗な花見れたよって


山の守殿に感謝せなあかんなぁ





土佐藩大坂長堀濱の繁栄で

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江戸時代の大坂には、全国各地諸藩の藩邸や蔵屋敷が
中之島周辺に在りましたが、土佐藩の藩邸と蔵屋敷は
西長堀川両岸の一帯に在り、土佐藩の輸送船による
海産物や材木の陸揚げ浜には『市』が立ち、おおいに
繁栄したと摂津名所図会大成に記されています。

いま、その名残は全く無いのですが、土佐藩蔵屋敷内に
鎮座していた土佐稲荷神社がその名を残しています。

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長堀通の鰹座橋交差点から少し西に移動し、
大阪市建設局前を左折します。

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大阪市建設局から少し南に下ると土佐稲荷神社
東横にやって来ます。

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土佐稲荷神社南に位置する土佐公園内の
参道から参拝に向かいます。

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土佐稲荷神社の創建や由緒については不明なのですが、
土佐藩蔵屋敷に古くから鎮座していたようで、享保2年
(1717)に藩主の山内豊隆公が鎮守社とし、一般の
参拝を許したとされ、

祭神は主祭神に宇賀御魂大神、外三柱に素戔嗚大神、
大市姫大神、田中大神が祀られています。

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摂津名所図会大成には、『稲荷神祠あみだ池の西
土佐蔵屋敷の内にあり 桜多く植え花のころに
・・・中略・・・土佐御蔵屋敷の鎮守成り相殿に
祭るところ玉相明神磐根明神といふ』
と記しています。

今も桜の木が植栽され大阪の桜の名所になっています。

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本社殿前に鎮座している青銅製の狛犬は、三菱創業者
岩崎弥太郎氏の弟で二代目社長の弥之助氏が
寄進したものだそうです。

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幕末の頃に土佐藩は直営の土佐商会を長崎に設立し、その支社を
大坂土佐藩蔵屋敷に置きました。明治2年(1869)に岩崎弥太郎が
大坂商会(土佐藩開成館大坂出張所)に赴任し、翌年土佐藩の
小参事・藩邸の責任者に就任しました。当時の藩邸や蔵屋敷
は両替商や商人の借金の担保になっており、土佐藩は薩長
連合太政官政府の藩営事業禁止令に先立ち、私会社の
九十九商会の監督となり土佐藩の次行を受け継ぎ
借財の返済を行いました。

その後三川商会、三菱商会と社名を変え本社を東京に移し、
土佐稲荷神社を除く敷地を大阪市に譲渡することになり、

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土佐稲荷神社境内地に昭和の初期まで岩崎本家が
在ったと記された石碑が設けられています。

土佐藩大坂藩邸蔵屋敷が三菱グループ
発祥の地やったんですねぇ

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土佐稲荷神社の参拝を終え新なにわ筋を渡るとあみだ池に出ます。

あみだ池と言えば『あみだ池大黒』

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土佐藩蔵屋敷が建ち並ぶあみだ池の畔で、千石船の船底に
溜る大量のくず米や、砂糖・水飴が手に入る立地を活かし、
粟おこしを造り始めたのが『あみだ池大黒』。

粟おこしは「粟・稗ハト麦」が原料になっているのですが、
長堀川の河畔に西国大名の蔵屋敷が建ち並び、
船底に溜る大量の余剰米を買い取り
文化2年(1805)におこし作りを
始めたそうです。

奥の蔵には、

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大黒さんがびっしりと祀られていますが、
ただ残念なことに一般公開はされていません。

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山の守殿にお土産と言うよりお店で試食が先の福助。



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『ええ・・・・阿弥陀が行けと言いました』と落ちの付く、

上方落語で馴染みの和光寺(阿弥陀池)が


筋向いに ! ! !





あみだ池 和光寺

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阿弥陀池は元禄11年(1698)に改創された尼寺『和光寺』の
総称で、正式には山号を蓮池山、寺号を和光寺、
院号を智善院といいます。

大阪人は『あみだ池』と聞いただけで『あ~ぁあの寺』
と直ぐに判るのですが、『和光寺』と尋ねると
『そんなん知らん』と答えられるほど
総称名で有名なお寺なのです。

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あみだ池大黒から「あみだ池筋」を挟んで東に位置する
阿弥陀池和光寺へ向かいます。

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寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会には、『蓮池山
和光寺北堀江御池通にあり 智善院と号す 信州
善光寺より数代住職す』と記しています。(注・1)

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和光寺は昭和20年(1945)の大阪大空襲で全山が焼失、
その後続いて都市区画整理で境内地が縮小され、
昭和36年(1961)に再建され現在に至っています。

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あみだ池筋の一筋東の通に面した和光寺の山門です。
門扉は開いていますが鉄柵で閉じられいるので、
南側の和光殿の方から入山します。

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敗戦後の昭和22年(1947)に再建された仮本堂が、鉄筋コンク
リート造りの本堂が昭和36年(1961)に再建されました。

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本堂内陣です。

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本堂内陣の宮殿に安置されている本尊の阿弥陀三尊像です。
(注・2)

摂津名所図会によれば、『本尊阿弥陀一光三尊佛 金銅佛
 長一尺五寸 住昔伊豆国走湯山浄蓮上人佛告を持って
鋳造しけるなり』と記し、『左の手に刀剣の印を結び
右に施無畏の印を結ばせたまふ』と記しています。

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宮殿の奥(裏側)には木造の釈迦如来の
涅槃像が安置されています。(注・2)

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幕末期に描かれた浪花百景石板版『阿弥陀池ねはん会』
初代芳豊(画)です。(注・3)

昭和20年の大阪大空襲で全山焼失するまでは金銅仏の
釈迦如来涅槃像で涅槃会が行われていました。

現在の涅槃佛は空襲の際、蔵に保管
されていたため戦災から
逃れられました。

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幕末期に描かれた浪花百景石板版『あみだ池』芳瀧(画)です。
(注・3)

阿弥陀池は仏教伝来の際に百済からもたらされた仏像が、
廃仏派の物部氏によって沈められた『難波の堀江』に
あたるという伝承が残されています。

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明治33年(1900)頃の阿弥陀池放光閣の画像です。

廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、
推古天皇10年(602)に信濃の本田善光に拾われ善光寺まで
運ばれたと言う伝説が残されています。

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昭和22年に仮本堂再建と同じくして再建された
阿弥陀池放光閣です。

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池の東側から見た放光閣です。

池の周りの玉垣は堀江廓の楼主の寄進によるもので、
芸妓さんの名前も刻まれていましたが、
風化で判読不明になっていました。

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阿弥陀池前に安置されている地蔵菩薩に参拝の
礼を告げ、下山することにします。


 な む ~ 



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若い人の間で、あみだ池はちょっとした大阪の


観光地なんですょ




(注・1) 早稲田大学図書館蔵
(注・2) 大阪市HPからの借用
(注・3) 大阪府立中之島図書館蔵



誘惑に惑わされて・・・

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昭和45年(1970)に国内外に発展を印象づけた大阪万博から
48年の時を経て、テーマ館のシンボルであり続けた
『太陽の塔』の内部が一般公開されています。

『見に行きたいなぁ~』と、ご近所さんと世間話をしていたら、
『一人分余ってまんねん、一緒に行きまへんか❔』と、
誘われてみたもののこんな上手い話あるやろか。

そやけど話はしてみるもんやねぇ。

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大阪モノレール万博中央口駅から万博中央口へ

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太陽の塔入館料と記念公園入場料を払って、未来を象徴する
黄金の顔と現在を象徴する太陽の顔が正面に

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太陽の塔の裏側に新しく作られた地階へ向かう、
スロープを下ると正面に受付が

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順路に従って地底の太陽ゾーンからの見学です。

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五大陸を表す五色の生命の樹に添って螺旋階段を
『よっこらしょ、よっこらしょ』と登っていきます。

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原生類時代から三葉虫時代を経て魚類時代に

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爬虫類時代から両生類時代を経て哺乳類時代へ

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ここから先は未来なんでしょうかねぇ~。

違う順路を通って下っていきます。

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地階に戻って来ると記念品や太陽の塔グッズを
販売するコーナーに出るんですょ。

上手ことしてあるわ

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一通り太陽の党内部を巡って過去の顔の背面に

昔のお祭り広場やった所です。


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ご近所さんが誘ってくれた理由が別にあって、

毎月一回行っている写真の同好会に入れへんか❔
と言うお誘いやったんです。

太陽の塔見学を餌に見事一本釣りされてしまいました。


そんなこんなのお付き合いで


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ポピー

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チュウリップ

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何か解りません❔



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束になんのん嫌いな扇屋


どないすんねん毎月やで


ええ顔して付き合わなあかんとは





頭おかしいんとちゃう❔

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 Web上でこんな話題が 

中国・重慶の『洋人街遊園地』、この遊園地の最大のうりが
『世界最大のトイレ』だそうで、男子トイレにはワニが
口を開けている型の小便器や、チューリップの花を
模した小便器などがいくつも並んでいるそうです。

また、これらが並んでいる青天井のトイレもあるとの事。


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そんな世界最大のトイレに設立当初から『マリア像』の
小便器が在ったようで、マリア様のお腹の部分が
大きく空いていて、そこに放尿するそうです。

中華思想は世間の常識から外れて、

怖いもん知らずゃ。


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ただ重慶市に住むアメリカ人から同市に苦情があり、
事が大きくなる前に撤去してしまったようです。


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なんでも有りの中国でも

これは


ア カ ン や ろ ! ! !



4/19 東スポWeb版より。


早くも暑さ負け❔

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まだ4月の後半だというのに連日、夏のような暑さに
襲われている阪神間(いや全国的に)です。

テレビの天気予報では、『初夏の陽気』と暑さの話題で
もちきりですが、暑さに体が慣れていないせいか
外出から戻ると、早くも暑さ負けの感じに
襲われている扇屋ですが、

皆さんはいかがですか❔


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桜が終りツツジが一番の見ごろになった何時もの公園です。

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池の水辺では黄菖蒲が早くも咲き出しましたねぇ。

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池の乾地でもアヤメが咲き誇って来ましたねぇ。

根深の季節はまだ先とちゃうかと思うねんけどなぁ~

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今時はケシの花が咲いたって警察も知らんぷり、

昔は大騒ぎしてたんやけどねぇ 

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久し振りにバラ園を覗きに 

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今年も赤いバラが一番早く咲きだしましたねぇ 

イメージ 7 開幕して直ぐストーブリーグが
始まるか

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バラ園の隅っこでシャクナゲが蕾を膨らましてます。

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見上げればタイサンボクの蕾もあと数日のうちに

開花しそうですねぇ。

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週間天気予報によれば週初めから曇り空が続き、

雨模様となるとか❔


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雨が降ったら野田藤行けそうに無いなぁ



季節の移ろい

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季節の変化を自然界だけでなく、社会の動きの中でも知る
時代に住む扇屋ですが、桜に心を奪われ天を仰いで
いる間に、季節は皐月の装いに変わったようです。

先週出掛けに満開であった何時もの公園のツツジが、
昨日帰宅してみると見ごろが過ぎ、初夏の陽射しを
浴びてバラが揺蕩うしているではありませんか。

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『すっと立つ草木の中に松の花』なんて、鬼貫さんの句が
がありましたが、晩春の頃に世間の迷惑を考えず、
毎年花粉をまき散らしてくれる松の花です。

松もこの時季だけ扇屋の仇なんですょ。

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モッコウバラの冠で装飾されたバラ園のゲートです。

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古代のギリシャ神話ではバラは、繁栄と愛の象徴と
されていたようですねぇ。

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バラには沢山の種類があるようで、その数だけ
名前もあるとの事。

花音痴の扇屋『綺麗かったら名無しでもええやん』

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紀元前6世紀にギリシャの詩人が『バラの花は恋の花、
バラの花は愛の花、バラの花は花の女王』
なんて唄ってるらしいですねぇ。

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北原白秋さんまでが『紅バラの花 ゆくりなく ばっと
真紅にひらきけるかも』なんて読んでます。

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バラの花は、イギリスの国花でもあり王室の
紋章でもあるんですねぇ。

バラ園横の水辺では、

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元々はヨーロッパ原産の黄菖蒲が満開に、
在来種を押しのけ水辺を完全に占拠。

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乾地ではアヤメが元気に頑張っています。

今週中には杜若も咲きだすのでは❔

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芍薬も蕾が開きかかって来ました。



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余にも季節の移ろいが速いので


体がついていかない扇屋です。








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