長堀通の鰹座橋交差点から少し西に移動し、
大阪市建設局前を左折します。
大阪市建設局から少し南に下ると土佐稲荷神社
東横にやって来ます。
土佐稲荷神社南に位置する土佐公園内の
参道から参拝に向かいます。
土佐稲荷神社の創建や由緒については不明なのですが、
土佐藩蔵屋敷に古くから鎮座していたようで、享保2年
(1717)に藩主の山内豊隆公が鎮守社とし、一般の
参拝を許したとされ、
祭神は主祭神に宇賀御魂大神、外三柱に素戔嗚大神、
大市姫大神、田中大神が祀られています。
摂津名所図会大成には、『稲荷神祠あみだ池の西
土佐蔵屋敷の内にあり 桜多く植え花のころに
・・・中略・・・土佐御蔵屋敷の鎮守成り相殿に
祭るところ玉相明神磐根明神といふ』
と記しています。
今も桜の木が植栽され大阪の桜の名所になっています。
本社殿前に鎮座している青銅製の狛犬は、三菱創業者
岩崎弥太郎氏の弟で二代目社長の弥之助氏が
寄進したものだそうです。
幕末の頃に土佐藩は直営の土佐商会を長崎に設立し、その支社を
大坂土佐藩蔵屋敷に置きました。明治2年(1869)に岩崎弥太郎が
大坂商会(土佐藩開成館大坂出張所)に赴任し、翌年土佐藩の
小参事・藩邸の責任者に就任しました。当時の藩邸や蔵屋敷
は両替商や商人の借金の担保になっており、土佐藩は薩長
連合太政官政府の藩営事業禁止令に先立ち、私会社の
九十九商会の監督となり土佐藩の次行を受け継ぎ
借財の返済を行いました。
その後三川商会、三菱商会と社名を変え本社を東京に移し、
土佐稲荷神社を除く敷地を大阪市に譲渡することになり、
土佐稲荷神社境内地に昭和の初期まで岩崎本家が
在ったと記された石碑が設けられています。
土佐藩大坂藩邸蔵屋敷が三菱グループ
発祥の地やったんですねぇ
土佐稲荷神社の参拝を終え新なにわ筋を渡るとあみだ池に出ます。
あみだ池と言えば『あみだ池大黒』
土佐藩蔵屋敷が建ち並ぶあみだ池の畔で、千石船の船底に
溜る大量のくず米や、砂糖・水飴が手に入る立地を活かし、
粟おこしを造り始めたのが『あみだ池大黒』。
粟おこしは「粟・稗ハト麦」が原料になっているのですが、
長堀川の河畔に西国大名の蔵屋敷が建ち並び、
船底に溜る大量の余剰米を買い取り
文化2年(1805)におこし作りを
始めたそうです。
奥の蔵には、
大黒さんがびっしりと祀られていますが、
ただ残念なことに一般公開はされていません。
山の守殿にお土産と言うよりお店で試食が先の福助。
『ええ・・・・阿弥陀が行けと言いました』と落ちの付く、
上方落語で馴染みの和光寺(阿弥陀池)が
筋向いに ! ! !