大阪の船場と島之内の境目を流れた長堀川は、昭和39年(19
64)まで東横堀川の末吉橋下流から分流し、西へ向かって流れ
木津川の伯楽橋下流に注いでいました。
心斎橋はもともと長堀川に架かっていた橋の名前で、元和8年(
1622)長堀川の開削に共って架けられた橋なのです。
心斎橋を南北に通る道を心斎橋筋と呼び、歴史的に古く元禄時
代に「呉服屋の松屋」(現・大丸)が店を出した頃には、心斎橋周
辺には商店が集まり、商店街が形成されていました。
島之内側から見た現在の心斎橋です。
クリスタ長堀の天井部を川に見立て、長堀川の水面が再現され
ています。
元和8年に開削と共に架けられた心斎橋は、明治6年(1873)に
本木昌造氏設計で、ドイツ製の鉄橋に架け替えられました。
明治42年(1909)に野口孫一氏の設計で石造橋に架け替えられ
たのですが、昭和37年(1962)に長堀川埋立てにより撤去されま
した。
平成9年(1997)にクリスタ長堀が完成した際に、元の心斎橋の
位置に石造橋の一部がガス灯と共に復元されました。
復元された橋の向こうが心斎橋筋商店街です。
昭和5年(1930)頃の島之内心斎橋商店街の入り口です。
寛政8年(1796)に刊行された摂津名所図会の中に「心斎橋筋呉
服店松屋」(現・大丸)と題する図があり、老舗の呉服店の店頭で
の商いの様子が描かれています。 (早稲田大学図書館蔵)
幕末期に刊行された浪華百景石和板にも、「心斎橋筋呉服店
松屋」の店頭での商いの様子が描かれた、浮世絵が出版され
ています。 (大阪市立中之島図書館蔵)
昭和5年(1930)頃の心斎橋筋商店街の大丸前です。
写真右側の鉄筋2階建ての建物が大丸松屋呉服店の建物です。
現在の大丸心斎橋店前です。
幕末期に刊行された浪華百景島之内に描かれた心斎橋初荷の
浮世絵です。 (大阪市立中之島図書館蔵)
現在の心斎橋筋商店街です。
明治・大正時代には大阪の発展と共に心斎橋筋も繁栄し、「東の
銀座、西の心斎橋」と並び称されたこともありましたが、経済の東
京一極集中の結果、全国的な知名度も低くなっています、
大丸の南館と北館(旧・そごう)の間の道を御堂筋に向かってい
きます。正面中央に何か意味不明の物体がペントハウスの上に
立っています。
何でやねん
御堂筋の新橋に戻ってきました。
クリスタ長堀を通り四ツ橋に向かいます。
今日も最後までお付き合いありがとうございました。
一人で勝手に行ってんか
暑いんやから